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マイナーな話題を扱うことが多いかもしれません。

Rachel Corrie の死が報われるのはいつのことやら

2009-03-31 21:11:37 | パレスチナかイスラエルか
今回は、2003年3月に、イスラエル軍による Gaza 地区住民の家屋破壊に抗議し命を落としてしまったレイチェル・コリー(Rachel Corrie)の両親が、彼女の7回忌に際して公開したコメントの紹介。
・Statement from the family of Rachel Corrie(2009年3月16日 International Solidarity Movement Palestine)

つーか、レイチェル・コリーって誰?
って人は、↓参照(手抜き)。
・イスラエル軍によるISM活動家レイチェル・コリー殺害を糾弾する!(2003年3月20日 反占領・平和レポート)

そこらの活動家達より気合が入ってた子だったのね(←何)。
ただ、2007年3月号『世界』に掲載された『何に抵抗したのか? レイチェル・コリーの最期』で小田切 拓氏は、レイチェルの行動について軽率だったという指摘をしているが・・・。

ってのはともかく、レイチェルの死後も彼女のことを忘れさせないための活動ってのは地道に行なわれていた。
当然というか、彼女の両親もそうした活動に加わっていた。
ただ、俺自身、こうした話についてはろくに知らないのだが・・・(馬鹿)。

ってことで、レイチェルの両親が寄せたコメントを適当に日本語訳にしてみた。
例によって、訳文の正確性は一切保証しな(略)
また、地名や人名については、表記を一部変更している。

------ 以下訳文 ------
レイチェル・コリーの家族による声明
Cindy and Craig Corrie、International Solidarity Movement Palestine、2009年3月16日


レイチェルが Gaza 地区で抗議を行って(死んでしまった)日から6年経ち、彼女の事を記憶し続け、中東における人権・正義・平和への関与を改めて行なう全ての人達に感謝します。
彼女の記憶として遺された[イスラエル軍への]裁判と活動は、私達や他の人達にとって行動する力の源なのです。

2009年3月13日、米国籍の活動家 Tristan Anderson 氏の悲劇的な事件を知りました。
Tristan 氏は、西岸地区の Nilin 村で村の近くで[イスラエルが行なってる]分離壁建設への抗議デモに対しイスラエル軍が襲撃した際、催涙弾が頭部に当たりました[訳注1]。
同じ日に、Nilin 村の住人が実弾で足を撃たれました。
ここ8ヶ月で Nilin 村の4人の住人が殺害されたのにつれて、村人同様に支持者達も Nilin 村に残された土地の内 4分の1を削り取る壁 -- 国際司法裁判所により違法とみなされた人種隔離壁への抗議に勇敢にも参加しました。

この8ヶ月で亡くなったのは、2008年7月29日に頭を打ちぬかれた Ahmed Mousa (10歳);2008年7月30日にゴム弾(鉄塊入り)で撃たれた Yousef Amira(17歳);2008年12月8日に銃撃で殺害された Arafat Rateb Khawaje(22歳)と Mohammed Kasim Khawaje(20歳)です[敬称略+訳注2]。
この6周忌に、レイチェルは Tristan Anderson 氏と彼の家族、そして4人の家族達について心にとどめて[our thoughts and prayers]欲しいと望むでしょう、そして私達も皆さんにそうして欲しいのです。

米国からやってきた Code Pink の活動家達と共に Gaza 地区を訪れた後に立ち寄ったカイロからこのコメントを書いています[訳注3]。
58人の女性達と男性達[原文ママ]は、Rafah 検問所封鎖と経済封鎖への抗議と Gaza 地区の強くて勇敢な女性達とともに世界女性の日を祝うため、2009年3月7日に検問所を通過することができました。

私達の支援者達がこの訪問を準備してくれたことを、レイチェルはとても喜んでるでしょう。
Gaza 地区回廊の北から南まで、去年の12月から今年の1月に行なわれたイスラエルの攻撃による犠牲者である -- 家屋や行政施設・警察署・モスク・学校の広範囲な破壊状況を目撃しました。
私達が目の当たりにしたイスラエル軍による攻撃[による被害]に関する個人的な影響について質問した際、何度も何度も母や父、子供達、甥や姪、友人達を失ったことを話してくれました。
パレスチナの人達に関する人権センターは、[イスラエル軍の攻撃により]288人の子供達と 121人の女性を含む 1,434人が亡くなり、5000人以上が負傷したと伝えています[訳注4]。

イスラエルの軍事攻撃の最中、50件の家が破壊された Gaza 地区南部にある Khuza'a という農村を歩いて尋ねました。
少年は私達に、[イスラエル軍の]ブルドーザーが家を取り壊した際、自分と家族が潜んでいた瓦礫の中にある穴から出てきました。
イスラエル軍のブルドーザーの脅威から逃れた近隣の人達からなる恐怖におののく女性や子供達を誘導しようとして、白旗を掲げながら通りを歩いていた際、イスラエル軍の狙撃兵による銃撃を受けて殺された Rawfiya a-Najar という女性のことも聞きました[訳注5]。

繰り返し繰り返し、パレスチナの人達や幅広く支援を行なう人達から、Gaza 地区では停戦なんて無いと聴きました。
実際、[Rafah の検問所]近くの境界線にたどり着き Gaza 地区を離れようとした際、境界線近くから聞こえる爆弾の爆発で会話が中断されました。
昨夜は、友人達の農場の空き地で月明かりの下焚き火をし、どのようにして2004年にイスラエル軍が彼の家を破壊したのか、そして2009年2月6日に新たに建てた家が壊されたのかについて語るのに耳を傾けていました。
この時は、イスラエル軍のアパッチ攻撃ヘリから発射されたロケット弾が、彼の家に着弾しました。
[彼には]小麦畑だけが残され、話しているうちに怒りが小声に表れましたが、F16戦闘攻撃機が夜空を通過した際私達の注意は急にそっちに向かい、友人は「もし[飛行機の]横に異音を感じたら爆撃するだろう」と述べました。

あちらこちらで、特に子供達の間では、全ての Gaza 地区住民に対し最近と現在も行なわれている[イスラエル軍の]攻撃による精神的代償は、悲しいくらい明確でした。
攻撃に巻き込まれて[精神的な]傷による大きな損失を被った人達、だけではありません。
街の通りに面した警察署が爆撃され遺体が宙を舞う光景を学校で目撃した子供達や、自分達の家の近くに着弾したミサイルの恐ろしi
爆発音を感じたり聞いた子供達にとっても大きな損失なのです。
毎日行なわれている表現できないような非人道的な破壊を意識しないで歩かなければならないのは子供達なのです。

レイチェルの場合、詳細・信頼・透明性のある調査がイスラエル政府により約束されましたが、6年経っても、米政府の姿勢は「そのような調査を行なわない」というままです[訳注6]。
2008年3月には、米国務省国外在住米国市民事務局(?)の局長である Michelle Bernier-Toth 氏がこのように記しました[訳注7]。
「私達[米国政府]はずっとイスラエル政府に、レイチェル[・コリー]の死に関して全面的かつ透明性のある調査を要求しています。[しかし]私達の要求に[イスラエル政府は]何の回答もしないか、無視しています」
現在、Gaza 地区にいる全ての人達と Nilin 村で生じた Tristan Anderson 氏に代表される人への攻撃は、[イスラエルによる]事件の調査と説明責任の必要性を求めています。
Barack Obama 米大統領・Hillary Clinton 国務長官・全ての議員に、現在起こっている残虐行為がイスラエル政府と国際法と米国の法律に基づき調査されるのを支援ように行動を起こすのを呼びかけます。
私達はこの人達へ、イスラエル軍により繰り広げられてる暴力行為を支持せず終えるために、継続的に行動するよう働きかけます。

[Gaza 地区訪問で知った]苦しみの一方で、パレスチナにいるレイチェルの友人達の暮らしに少し立ち入ることができる特権を再び与えられたような気がしました。
彼らが再び語り始めたことで心を動かされ、歌・踊り・涙の中にある笑いで心を温められています。
レイチェルは2003年にこう記していました。
「暮らしの中で生じるとてつもない恐怖に対し -- 笑い・正直さ・家族との時間により -- 人間性を守ることができる強さに全く驚かなかったわ・・・。恐ろしい状況において、人間であり続けるための強さと基本的な能力を見つけたの・・・。言い表すとすれば、尊厳[dignity]だと思うの」
レイチェルが殺害された 7回忌に、彼女の気持ちを改めて支持します。


敬具。
私達の家族の一員として Cindy and Craig Corrie



訳注1:この件については、銃撃の場面が YouTube でも動画が公開されていたとか・・・。
↓も参照。
・イスラエル兵に頭部を最新型催涙弾で射撃された米国人のISM活動家Tristan Anderson(2009年3月13日 Irregular Rhythm Asylum)
・Tristan Anderson Critically injured in Ni'iln(2009年3月14日 Anarchist Against The Wall)


訳注2:Ahmed Mousa 君の殺害に関する証言については↓参照。
・Transcript: Israeli military kills 10-year-old in Nilin(2008年7月30日 Electronic Intifada)

なお Yousef Amira 君は、Ahmed Mousa 君の葬儀後に銃撃を受けて殺害された。
Amira 君の殺害に関する(略
・Israeli forces mortally wound Nilin teenager after funeral(2008年8月1日 Electronic Intifada)

また Khawaje 兄弟の殺害に関しては↓参照・・・(心臓の悪い人は注意)。
・Israeli forces kill resident of Ni’lin and leave another in critical condition during demonstration of solidarity with Gaza(2008年12月28日 Bi'lin, a village of Palestine)

それにしても。
なんでイスラエル政府は、こうした事件をろくに調査しないんだろうか?


訳注3:元々 Code Pink は、2003年以降3年おき(・・・)に国際女性デー(3月8日)に合わせて、米国各地でデモを行なっていた。
ただ、今年に関しては、イスラエル軍による Gaza 地区への(略)テロ行為に抗議する目的も含めたので、Gaza 地区を訪問することもデモの一環(?)になったけど・・・。


訳注4:国連の人権委員会の報告による。
・U.N. reports say Israel targeted civilians in Gaza(2009年3月23日 reuters)

ただし、犠牲者の数は、調査機関によって(多分犠牲者の基準が異なったり時期の関係で)ズレが生じている。
↓の報告だと、死者は1,417人だったりする・・・。
・Confirmed figures reveal the true extent of the destruction inflicted upon the Gaza Strip; Israel’s offensive resulted in 1,417 dead, including 926 civilians, 255 police officers, and 236 fighters.(2009年3月12日 PCHR.org)


訳注5:実は、Riwfiyah 氏が殺害された場所は、その前の文で紹介されていた Khuza'a(原文では Khoza)村。
難民キャンプがあるハーン・ユーニス(Khan Yunis)の近く+イスラエルとの境界線近くというナイスな場所。
Khuza 村の破壊に関しては↓参照。
・Israel accused of war crimes over 12-hour assault on Gaza village(2009年1月18日 guardian.co.uk)

なお、原文では『Rafiya』となっていたが、実際は『Rawfiya』と表記することが多いっぺぇ。
Rawfiyah a-Najar 氏の殺害に関する証言は↓。
・13 Jan. '09: Witness reports that Israeli soldiers shot woman waving white flag in Gaza Strip (2009年1月13日 B'Tselem)

この件については、最近になってイスラエル軍の狙撃兵が意図的に射殺したなんて証言が出てたんだよな。
・無抵抗のガザ市民殺害 イスラエル兵証言次々、軍調査へ(2009年3月20日 asahi.com)
(2009年3月20日 flagburner's blog(仮))
・IDF soldiers ordered to shoot at Gaza rescuers, note says (2009年3月22日 Haaretz.com)



訳注6:「Sharon 首相(当時)から、イスラエル政府からきちんと調査を行なうとの声明を受けた」、と2003年3月19日分米国務省記者会見で当時の広報担当こと Lawrence Wilkerson 氏が公表した。
しかし、問題の発言は何故か米国務省の公式サイトには掲載されていないので、2005年3月17日の米下院公聴会(アフリカ・世界の人権、国際的活動に関する副会合)の議事録を参照・・・。
March 17, 2005 hearing of House Subcommittee on Africa, Global Human Rights and International Operations・(2005年3月17日? internationalrelations.gov)


訳注7:Web 上で原文を探したけど見つからなかったので、多分 Corrie 夫妻が受け取った手紙かと。
なお、原文の『Michele Bernier-Toff』は、正確には『Michelle Bernier-Toth』らしい。
確かに、"f" の発音と "th" の発音は似てるんだけどさ・・・。
そこは掲載する前にチェックして欲しかったな(苦笑)。

------ 訳文以上 ------

う~ん。
仮に俺がレイチェルの立場だったとしたら、俺は余裕でブルドーザーから逃げ出してたんだろうな(弱)。
多分「死にたくねぇ」って気持ちが(レイチェルの立場なら正義感より)優先されるだろうからな・・・。


それはそうと。
レイチェルの死に関して当事者たるイスラエル軍は、昨日の更新でもネタにしたようにを遠隔操作できるブルドーザーを導入する始末なんだよな。
・気分は湾岸戦争(1991)2(2009年3月30日 flagburner's blog(仮))

今の所、レイチェルの死は報われていないようだ(違)。


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