僕という存在から見えた世界の風景とその導

世界が気まぐれに語りかけてくる言葉は儚くとも美しい・・・

【検証】タイトル「導」は何故、切れているのか・・・

2005年09月28日 | 雑文日記
高知県:土佐町と旧土佐山村にある工石山より

【工石山より望む】高知県:土佐町と旧土佐山村の道のりにて


さて、今回のタイトルは高知逍遥ブログ【百足館通信】さんからの疑問をちょいと引っこ抜いて?きました。


当サイト管理人として改めて疑問。。

「『導』で切れていたのか・・・?」

本人的には「導(しるべ)」と読んで、そのまま単体読みで考えておりました。
最初、「道標(みちしるべ)」にしようか?とも考えましたが、「導(しるべ)」の方がコンパクトでいいんじゃねぇか?みたいに考えて、今現在の「僕という存在から見えた世界の風景とその導(しるべ)」になった理由なんですね。

ここでちょっと「導(しるべ)」を辞書で引いて診ましょう。

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しるべ 0 3 【▽導/▽標】
〔「知る辺」の意〕


(1)道の案内をすること。また、その人。
「道―」「歌妓(ねこ)は箱持(はこや)の―に属(つき)/安愚楽鍋(魯文)」


(2)助け導くこと。手引き。案内。
「―する物の音につけてなむ、思ひ出でらるべかりける/源氏(橋姫)」


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ん~、、(1)の「道の案内をすること。」っていうのがしっくりきますかねぇ。。
そもそもこのブログのコンセプトとしては、「自分が見た風景(主に高知とか)を他の人に見てもらって、そこに行ってみたいなぁって思わせることができるようにガンバロー♪」みたいな感じで始めたので、まぁ誘導?みたいな意味で「導(しるべ)」って付けたんですよねぇ。。

・・・うん、確かそう。。
カテゴリの「訪問歓迎」にも記載してますんで、お暇だったら見て下さい。^^


ここでちょっとお題に戻って・・・
『なんで「導」で切れているんでしょう?』

・・・という事は、「導」という文字の後に何か続く文字があるはずなんですよね?
始めにもちょろっと書かせてもらった「道標」では「導」の頭に文字がきてしまいます。

・・・では、何という文字が「導」の後に来れば「切れない」のか?


ちょっと調べてみました。

■検索1・・・【導顔】しるべ-がお
・案内するような顔つき。



案内するような顔つきって・・・
そんな思わせぶりな顔つきをしているクセに、結局案内はしない・・・って事なんでしょうか?
(どんな顔つきなんだか・・・見てみたい)
・・・いやな性格ですねぇ。。却下。。


■検索2・・・【導引】どういん
・みちびくこと。道案内。
・按摩(あんま)。もみ療治。



1つめはアリかな?って気もするんですが・・・
何ですか?2つめの「もみ療治」って・・・?
・・・「もみ」と聞くだけでエロスを感じてしまうようではまだまだ未熟。
ゆえに却下。。


■検索3・・・【導入】どうにゅう
・導き入れること。



ん~、確かに「風景」撮影したり「高知」を撮りながら、そこから得られる何かを吸収して大きく成長したい・・・って思いはありますが。。
「僕という存在から見えた世界の風景とその導入」
・・・却下。。


■検索4・・・【導尿】どうにょう
・尿道口より膀胱に達するカテーテルを挿入して人工的に尿の排出を行わせる方法。



・・・却下。。


他にも色々と「導」言葉?はあったんですが、当事者とすれば「ん~・・・」って感じなんですよねぇ。。今一歩しっくりした言葉が見つからない・・・
今の所「僕という存在から見えた世界の風景とその導」気に入ってるし、しばらくこれで逝こうかなって思います。


どうぞ応援よろしくお願いします♪^^