「東洋のマチュピチュ」というとても魅力的なキャッチコピーの場所に立った。
とりあえずどこに行けばいいのかわからない。
わけのわからないまま歩いて行くとどんどん山の中に入っていく。
「これは間違ったかな?」とも思ったけれど、前を歩く人たちがいる。
そのまま歩いていると、
「第三社宅跡」を発見。でもただの石積みの住宅の基礎が残っているだけ。
駐車場から見た産業遺跡にはどうしたら行けるのかわからないまま、山道を進む。
すると、大きく開けた場所にでて、どうやら「子供広場」らしい。
左を見上げると、明治37年完成したという、「第三変電所」を発見。
やっと馬鹿夫婦のテンションも上がってくる。
「第三変電所」
水力発電所から送電されてきた電力の電圧調整と、明治38年に第三通洞に坑内電車が導入されたことに伴い、
設置されたものとらしい。
少し薄気味悪いが、中に入ると“かまど”なんかも残っているのが見える。
「第三変電所」を少し行くと、明治35年完成の長さ1795mの主要運搬坑道の「第三通洞 」を発見。
やっぱり少し薄気味悪い。
誰も人がいなければ、ちょっと遠慮したいようなところかも知れません。
どうやら、ここが行き止まりらしく、もと来た道を戻る。
駐車場まで戻って、そのまま駐車場を通り過ぎてみると上から見た産業遺跡に続く石段を発見!!
220段の長大階段に生まれ代わった「旧インクライン」という長い階段が目の前に。
目的地に行くのに最初に“下り”というのはうまいこと考えているなぁと思う。
いや、考えてそうしたわけではないのだろうけれど、目的地に心奪われ、帰りに登らなければ
ならないのを忘れてしまう。
私たち馬鹿夫婦も、そのわなにまんまと引っかかったわけで、どんどん「旧インクライン」の階段を
降りて行きました。
つづく
とりあえずどこに行けばいいのかわからない。
わけのわからないまま歩いて行くとどんどん山の中に入っていく。
「これは間違ったかな?」とも思ったけれど、前を歩く人たちがいる。
そのまま歩いていると、
「第三社宅跡」を発見。でもただの石積みの住宅の基礎が残っているだけ。
駐車場から見た産業遺跡にはどうしたら行けるのかわからないまま、山道を進む。
すると、大きく開けた場所にでて、どうやら「子供広場」らしい。
左を見上げると、明治37年完成したという、「第三変電所」を発見。
やっと馬鹿夫婦のテンションも上がってくる。
「第三変電所」
水力発電所から送電されてきた電力の電圧調整と、明治38年に第三通洞に坑内電車が導入されたことに伴い、
設置されたものとらしい。
少し薄気味悪いが、中に入ると“かまど”なんかも残っているのが見える。
「第三変電所」を少し行くと、明治35年完成の長さ1795mの主要運搬坑道の「第三通洞 」を発見。
やっぱり少し薄気味悪い。
誰も人がいなければ、ちょっと遠慮したいようなところかも知れません。
どうやら、ここが行き止まりらしく、もと来た道を戻る。
駐車場まで戻って、そのまま駐車場を通り過ぎてみると上から見た産業遺跡に続く石段を発見!!
220段の長大階段に生まれ代わった「旧インクライン」という長い階段が目の前に。
目的地に行くのに最初に“下り”というのはうまいこと考えているなぁと思う。
いや、考えてそうしたわけではないのだろうけれど、目的地に心奪われ、帰りに登らなければ
ならないのを忘れてしまう。
私たち馬鹿夫婦も、そのわなにまんまと引っかかったわけで、どんどん「旧インクライン」の階段を
降りて行きました。
つづく