粗茶淡飯

中国・台湾・日本のお茶に関する色々。執筆者・徳田志保。

お茶を知る方法の1つ

2020-05-01 22:50:00 | お茶のテイスティング

アプローチは様々ですが、その一つがテイスティング。
例えば、お茶を炒ると言っても…















画像のように、色々な流儀や道具があります。
どの機械にも(手作業をする人間も含む)
長所欠点は必ずありますし、
求める先にある物事は同じでも
産地の様々な環境、背景や事情で方法論が
違ってくるのです。

「拿茶説話」ー先ずはお茶を見よう。
業界内の人間同士は、何はなくとも先ずは
結果(お茶)そのものを見ます。
出されたお茶から、各工程を思い描き、
その時に起きた問題点を読み解く
それがシングルオリジンのテイスティングに
求められることとなります。
この世界はとにかく客観性が重視され、
ある種の嗜好性や抽象的な表現は入り込めません。
よって中途半端な実力でテイスティングをするとすぐバレてしまいます。

この手のテイスティングが出来るようになるには???
ただ只管練習して経験を積むこと、
そしてそれらとフィールドワークで見てきたことを繋げていくことです。

今のコロナ肺炎騒動、テイスティングの練習するのにピッタリなのでは?

色々なお茶に触れ、自由に外出が可能になったら、優秀な人材のいる園地や工場を訪れてくださいね。




テイスティング(拝見)の意味③

2016-09-10 06:00:25 | お茶のテイスティング


茶農家さんで作られた紅茶をテイスティング


②「品質」は資本主義の国においては、ものやサービスによって生じるコスト(損失)のこと。

品質が良いお茶とはどんなお茶なのでしょうか?お茶を生業とするのであるならば、作りの良し悪しを見るだけでは不十分です。それに生じるコストが高ければ、生業として成り立たないからです。

例えば、煎茶を作っていた生産者が、紅茶を作って自販したとします。仮に共に同じ単価で全量販売出来たとして、煎茶のコスト(人件費、機材、肥料、設備投資等)が紅茶より高かったとすれば、品質が良いのは生産者にとっても、消費者にとっても紅茶となります。

流通も含めて、作る者、売る者、買う者相互がハッピーになれる商品が、品質の良いものです。

それであって、作りの良いもの、美味しいと思うファンが多いもの、それが良茶です。

品質の云々、美味しい不味い、好き嫌い、これらの言葉をごちゃ混ぜにして一線上で考えてはいけないのです。

小難しい話になりましたが、では、上記のセオリー通りのみがパーフェクトな正解なのかと言えば、それは違うでしょう。人には情というものがあり、たとえ物であっても、自分の理想を求め、そこに加点していくという選択肢があります。

近年の中国での高級茶の高騰は、個人ユーザーの個々の思いの強さがあって、旺盛な買い意欲となって表れたものでした。ただし、そこに深く入り込みすぎると経済活動そのものは、いずれはお茶も例外なく破綻してしまうことも忘れてはいけないと思います。そこを弁えて行動できるかが、プロか否かの違いではないでしょうか。

以上少しくどくなりましたが、テイスティング(拝見)は「内在」「品質」…この2つを念頭において行わなければなりません。ですから、好みかどうか、美味しいか不味いか、好きか嫌いかの意見は不要です。

余談になりますが、実は今になってみると、私が当時中国でしょっちゅう質問していた「审评」とは何ですか?という問いかけは、私自身も盲点に気づいていなかったと反省しています。というのも中国では過去の政治的な思想や経済運営から急速に、かつ劇的に変化した歴史があるため、上記のような考え方が定着しているとは言い難く、つい最近までは品質に対する考え方が使用感や質感、人の道徳観など、人間の感覚や概念に頼った判断が主流だったからです。経済の元々の成り立ちや背景が全く違うので、漢字で書くと同じだから…とやると、中国での勉強はとんでもないことになります。

以上、最後はとりとめのないお話になりましたが、このお話はまたしばらくしたらブラッシュアップして、また書き直したいと思います。


テイスティング(拝見)の意味②

2016-09-05 18:11:07 | お茶のテイスティング
前回挙げた拝見とは「内質を見る→内在する品質を見る」のお話の続きです。



お茶の内在って何でしょうか?

「内在」…あるものが、そのものの中におのずから存在すること。現象が自らその内に、その根拠・原因をもっていること。

理解出来るようになるまで訓練を要しますが、拝見では、原葉の状態(栽培)から、製造までほぼ丸裸になります。お茶を作った本人がその場にいなくても製造中に何が起きたかある程度は確認出来ますし、本人がいれば、それは更にはっきりとわかります。

例えば、良く消費者や末端小売の関係者がお茶の評価をする時に使う「爽やかな渋み」という言葉、この根拠も何らかの原因があってのことです。

自然が介在する商品であるとは言え、お茶は人の手によって植えられ、育てられれば工芸作物となり、摘採して工場に運ばれれば商品となります。
何事も人間によって作られたものですから、私達人間が拝見という行為から、作った人間が何をして、作っている最中に何が起こったかを見ることは大方可能なことです。お茶に見られるありとあらゆる現象の原因とその根拠を確認するのが拝見(テイスティング)における「内在」です。

もちろん、この他にも上記の現象をお茶の外観や茶湯の内容等項目別にし、各々を点数化させて総合評価とするもの。お茶屋さんが独自の商品を作るため、ブレンド(日本語は合組、中国語では拼配又は拼堆)の素材を探すためテイスティング、ブレンドや調整の結果を判断するテイスティングなどがあります。

しかしながら業界内や一定の組織の中では分業制になりがちなため、点数化したり、素材や商品を吟味したり調整したりするブレンダーの行為の方が一般ユーザーの目に付きやすく、その印象から入って勉強することが多いため、結局茶業の入口に立ったばかりのユーザーが、時間をかけて投資した割には案外使いどころがない…ということになりがちなのです。

習得する際に、最初に着眼すべき基本中の基本は上記のものであり、ここから入りぶれなければ、その先の枝葉が伸ばしやすくなりますので、是非テイスティングの「内在」を頭の片隅に置いていただきたいと思います。

次は品質のお話です。

テイスティング(拝見)の意味①

2016-09-04 21:15:13 | お茶のテイスティング



中国では「审评」、台湾では「評審」と書きます。

私は中国茶の世界に入ったばかりの頃は、最後は飲んで美味しければ良いのだから、この行為に固執して何の意味があるのかという思いが強く、よく中国の専門家に何のために必要なのかをあちこちに質問していました。
回答の多くは判を押したように「お茶の内質を見るため」だったのですが、やはりピンと来ませんでした。

その後、産地を幾つかグルグル回る内に鳳凰単叢の産地に辿り着き、良いご縁があったこと。お茶を広く浅く見ることに見切りをつけて、先ずは1本を深く深く…ジッと見つめて行くことを選択したのは、周知の通りです。生葉を見て、工場で作り手の傍に貼り付き、出来上がりを見る…只只管その繰り返し。昼夜がひっくり返り健康を害することもよくありましたが、この積み重ねが現在の私の、お茶の拝見をする際の礎となっています。

少し話が逸れたので、元に戻します。
「内質」って何でしょうか?この言葉は日本語も中国語も同じ意味に見えて違います。「内在(する)品質」。次の更新ではこの言葉を少し掘り下げて行きたいと思います。