粗茶淡飯

中国・台湾・日本のお茶に関する色々。執筆者・徳田志保。

転機②

2016-09-27 11:51:37 | 現地の人・事(中国茶・台湾茶)



浙江省、江蘇省、安徽省、福建省、雲南省…幾つか回りましたが、腰を落ち着けて見てみようかなぁと思えたのは広東省潮安県鳳凰鎮ウードン村の農家でした。

当時この村は人口も500〜600人位。
私が初めて訪れた時には、車道は舗装されてなく、山の麓から車で村まで上がるのに2時間近くかかりました。標高1000メートル近くにあるこの村は、民家が山の斜面にへばりつくように点在していて、夕方になると夕食の準備の際の煙が出ているのが見え、街灯がないため、夜は真っ暗になりました。

村民は山の麓の街へ行く際は皆バイクでした。私もこの村を初めて訪れた時は車でしたが、その帰り、そして2回目以降の訪問は数年間バイクでした。国から走行は危険という理由で批准が下りず、車両の通行が禁止されてる道をバイクで一気に下りるのは、なかなかスリル満点でしたが、お天気の良い日は気持ちが良かったです。

お世話になった農家の技術は、とても安定していました。家のお父さん(以下、おじさんと書きます。)は当時60代でしたが、村の中では教育を受けた部類に入る人材だったので、普通話(標準語)でしっかり話ができ、幸運でした。外国人である私を、彼の家の中で好きに、何でもさせてくれ、私の話に常に真剣に耳を傾けてくれました。生まれも育ちも何もかも違うのですが、割と短期間でどんどん打ち解けて、何でも話せる間柄になって行きました。お昼から翌日の朝まで、ずっとずっとお喋りし続けたこともあります。

ただ、私はまだこの時も毎年オフシーズンに通う…程度の考えで、まさか春茶のハイシーズンに工場に籠ることになるとは、考えてもいなかったのです。実際、最初の数年は武夷山へ行ったり、各地のお茶の祭典に出たり、あちこち回っていました。

転機

2016-09-23 19:55:45 | 現地の人・事(中国茶・台湾茶)

私が中国茶の産地を周り始めたのが2000年頃。当時は何もわからないので、とりあえず行けるところはあちこち行っていました。



そのやり方を変えるきっかけになった出会いが2003年。福建省福鼎市の、ある工場にいた女性工場長との出会いでした。

工場ではとにかく厳しく、時には怒号も飛ぶため、若い工員から「男人婆(男みたいなおばさん)」と呼ばれていた彼女に私は興味津々。2日間、ジャスミン茶の加工をしながら、ずっと彼女の傍にいて色々話を聞きました。

彼女は若い頃、お祖父さんの勧めもあって紅茶工場に就職したそうです。当初は事務職だったそうですが、突然工場勤務に…工場は男性ばかりだったし、最初はただ単純作業の連続のように思えて、つまらなかったのだとか。そんな時、熟練工から

「良いかい、単純作業に見えても、ちゃんと道理があってやっていることなんだ。そこを自分で見つけて仕事をしなさい。」

と言われたそうです。そしてそれがちょっとわかってきて、少し面白くなってきた時に、また緑茶の加工部へ異動させられます。彼女は正直嬉しくなく、当初は勤務態度もあまり良くなかったそうです。その時に今度はまた別の熟練工から

「お茶作りの原理原則は同じなんだよ。君が前にやっていた紅茶も、ここの緑茶も共通点がいっぱいあるよ。まぁ見てごらん。」

と言われたのだとか。そこが彼女の茶工場人生のスタートだったと、懐かしそうに話してくれました。

当時、中国の友人達は私に今流行りの「茶旅」のような内容の本を書くよう勧めてきましたが、私はその方面に全く興味がなく、今後のこともあまり深く考えていませんでした。しかし彼女との出会いが、この当時までのお茶に対して広く浅く…路線だった私を、的を絞って深く…に変えて動かし始めたのだと思います。

そして、実際その3年後に舵をきることになります。

銀球茶(中国貴州省雷山県)⑤

2016-09-20 23:35:50 | 緑茶(中国茶)
最後は工場…

設備は旧式のものが多いのですが
基本、そんなに他と変わりません。



驚いたのはこの光景…。
炒り葉機にお箸を使って生葉を入れてるの、わかりますか?

おじさんが、独り、黙々とお箸を使って生葉を投入しているのです…まさに人力。
思わず私も数分凝視してしまいました。(苦笑)



熱源は石炭。
温度が固定できれば安定して良いのかもしれません。

お箸を持ったおじさんは、生葉を入れながら
音や香りで温度の確認もしていて、



炒り葉機のある部屋の外にいる女性は炒り上がったものをチェック。
その様子で石炭を増減していました。

この日、この産地についての話もありました。
元々中国の中でも貧しいことで有名なこの貴州省、
その困窮を脱するために茶業の推奨があったわけですが、80年代は国が浙江省から大量の龍井茶の種を送ってきて、この地で蒔き、発芽し、苗に成長したものを日本で言う、普及所みたいなところが配布していたそうです。その後90年代頃からは福建省から大量の苗が運ばれて配布されるようになったとか。

そこで思い出したのが8年前にこの地域を通りかかった時のこと。あれ?ここの土壌はお茶向きだなぁと、思った直後に茶畑が点在し始め、茶摘みをしているおばあちゃんに遭遇しました。

普通話(標準語)聴き取れるかなぁ?と心配しつつ
「ここのお茶は緑茶ですか?」
と聞いたら、笑顔で、コテコテの苗族訛りの普通話で
「龍井だよ!」
と話してくれました。
当時は、なんで貴州省で龍井なんだろう!?おばあちゃん、良いお茶は皆んな龍井茶だって思ってるのかなぁと思ったものですが、おばあちゃんは間違っていなかったことになります。(会ったらごめんなさいしないと…。)

雷山県には、他にも美味しい緑茶がありますが、
美味しいのは、画像のような作る人の勘どころが
工場の随所に生きていること、そして、この地に在来種の龍井茶がある…ということも一因なのかもしれません。

この、有名産地とはちょっと違う雰囲気のお茶作り。まだもう少し、のんびり感は続くでしょう。この大らかさは今の中国では立派な個性だと思います。

(終わり)





銀球茶(中国貴州省雷山県)④

2016-09-17 13:35:24 | 緑茶(中国茶)

翌日は茶畑へ…



アスファルトの道から民家の裏側を抜け、田んぼ、河原…山道を歩くこと30分以上。比較的平坦な道でようやくこの1枚を撮影…(^_^;)

どこへ連れて行かれるんだか…と思ったら、あらまあこんな素敵なところが。白いお花は「李花(スモモの花)」でした。



近年は、国の方から茶樹と果樹をこのように植えるよう指導があったようです。果樹ですので、農薬が気になり質問してみると、貴州省は中国の中でも貧しい省で、まだ個々の農家が肥料や農薬を買えるだけの経済力がないので、国の保護政策で、農薬も肥料も国から配布されるとのこと。よって国指定のものを使用し、茶樹にも果樹にも影響が出ないよう指導も入るので、与えられたものを使い、指導を守って栽培していれば問題は起きない…とのことでした。

この真偽のほどは、検査等で証明すれば良いですからさておき、この話通りに考えると…個々の農家が裕福になれば、他省と同じ問題が出るのでしょうが、幸か不幸かそこに至るはもう少し時間の猶予があるのかもしれません。



銀球茶(中国貴州省雷山県)③

2016-09-15 00:01:52 | 緑茶(中国茶)
工場に入ると、ちょうど皆さん、あの丸いお茶を製造中。成形は手作業だったのですね。



完全乾燥させていない、柔らかい状態のお茶を



手で成形していました。

私もやらせてもらいましたが、力が弱いと丸くならないし、力の入れ方が不均一だと乾燥機に入れた時にヒビが入ります。やり始めて、皆と同じ速さで合格品を作れるようになるのに、数時間かかりました。
今なら多分、工場で働かせてもらえると思います。(笑)

お茶を乾燥させる時は
このように1つ1つ網の上に置いていきます。



成形する時に、力を入れ、葉がちぎれるせいで、
乾燥中は乾燥室から花のような香りがしてきます。
このお茶を淹れると、時々花香がするのはそれが原因だったようです。
乾燥すること7時間…ようやくこのお茶が製品になります。

変則的になりましたが、翌日は茶園へ連れて行ってもらい、お茶を炒る工程を見せていただきました。