ファチマの聖母の会・プロライフ

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私たちの主の奇跡 【公教要理】第二十九講

2019年03月06日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第二十九講  私たちの主の奇跡


【私たちの主は奇跡を行った】
聖なる御教えとその完全な実践の模範の上に、私たちの主は、さらに奇跡をも行いました。主の一生と御教えの完璧さを確認し、主が、確かに救い主であり天主から送られた者であることを確認するために、奇跡を行いました。

【奇跡とは何か】
さて、奇跡とはなんでしょうか。奇跡とは、観察できる事実です。奇跡とは、感知できる事実です。天主によって行われる事実であり、自然秩序外の事実であることを、奇跡といいます。奇跡だと判定するためには、観察でき、自然秩序を越えた事実である必要があります。つまり、この非通常性と感知性の両様相こそが、奇跡の特徴になります。

【主が奇跡をおこなった理由:私たちの主の神性を証明する】
私たちの主が奇跡を行ったのは、御教えと一生の聖なる性格を証明するためです。単純にいうと、霊魂たちを、天主のもとまで登り帰らせるためです。
ファリサイ人に向けて、ハッキリと仰せになります。「私が父の業をしないなら、私を信じないでもよい」 と。続いて、しかし「もしそうしているのなら、たとい私を信じないでも、私のすることを信じよ」 とさえおっしゃいました。
つまり、「奇跡をみろ」ということです。「私のことについてなにか、異議があるなら、また、教えが好きではないのなら、奇跡を見たら良い」といわんばかりです。「奇跡の前に、なんと言うこともなかろう。奇跡こそ、私が自然を超える存在であることを証明するからだ」といわんばかりです。
最後に、「そうすれば、父が私にあり私が父にいることが分かる」 と仰せになります。
要するに、奇跡は、私たちの主、イエズス・キリストの神性を証明する事実です。

【奇跡の種類】
さて、福音には、奇跡の種類が幾つかあります。
例えば、主は、悪魔につかれた者ら7人を解放させます。
また、主は、自然に対して、10の奇跡を行います。
また、15の奇跡は、病に対して行います。
そして一番重要な奇跡ですが、3つは死に対しての奇跡です。一番明白な奇跡です。

要するに、主は奇跡として、自然に対して10回行います。病に対して15回で、死に対して3回行います。


例えば、公生活の際に、初めて福音に記される奇跡が、水をワインに変える奇跡です。まさに奇跡で、人間の力では行えないことです。なぜかというと、その本性が変わったからです。水の本性から、ワインの本性に変えました。
有名な奇跡というと、二つの奇跡の漁があります。
通常を超える奇跡といったら、嵐を鎮める奇跡です。明白でしょう。私たちの主は、風と海に命じるのです。嵐が止むというのは、必ずある現象ですが、暴れる最中で、単なる一言で嵐が止むなんて普通には全くないことですね。奇跡です。
また、私たちの主の許し給う一つの奇跡といったら、聖ペトロに対してです。聖ペトロが、水面の上に歩いた事実です。これも奇跡です。
また、パンの増加の奇跡もあります。主は、腹が空いた数多い人々をみて、憐んで、手ぶらで何も与えないで腹が空いているまま帰らせることができなかったのです。「空腹のままに変えらせるに忍びぬ。途中で倒れてしまうかもしれぬ」 と主が仰せになります。この場面で見とれるのは、霊魂に対する主の考慮です。主はどうするかというと、使徒たちに向けて幾つのパンを持っているか聞いてみます。使徒たちは、呆れて主を見て「普段の12人ならいいのだけど、今、数千人の人がいるじゃないですか」とでも言うかのようです。それでもイエズスが「これをやれ」と言われ、それで主がパンを増やすのです。魚をも増やしました。
以上は、幾つかの私たちの主の行った奇跡です。御自分の神性を証明しながら、霊魂たちを救うためにも奇跡を行いました。


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また、枯れたイチジクの木の奇跡もあります。私たちの主は、実っていないこのイチジクの木に対して、奇跡を行います。なにが起こったかというと使徒たちと供にその木の前を通りすぎます。勿論、並んでではなく、列をつくって歩いていたようです。少なくとも、後を続けて、道を歩いていました。そこでこのイチジクの木の前を通るとき、主がその木に実がないのに気付きます。それでイチジクの木を呪います。最後に通りかかる使徒たちは、このイチジクの木が枯れてしまったことに気付きます。これも、自然に対しての私たちの主の奇跡です。
これらの奇跡を通じて、私たちの主は、自然の主であることを確認させるわけです。御自分の神性も証明されます。

【私たちの主の行う多くの治癒の奇跡】
それから、私たちの主の行う多くの治癒の奇跡があります。遠距離からでも近距離からでも、どちらでも行います。天主ですからできます。天主から見て距離はどうでもよいわけです。天にまします天主ですから。

カファルナウムにいた王官の息子を治し、シモン・ペトロの義母をも治します。 また、ハンセン病者と中風の人をも治します。
中風の人は、人々が多くいたせいで、主のもとに連れて来られなくて、人々が屋根を壊して穴をあけ、中風の人の寝ている床を吊り下ろしました。そこで、「子よ、あなたの罪は赦された」 と仰せになります。それで、ファリサイ人は唖然として、お互いに目をやりながら、イエズスに対してこう考えています。「この人はなぜあんなこと言うのだろうか。あれは天主を冒涜する言葉だ。天主以外に罪を許せるものはいない」 と。イエズスには心を読み取る力があるので、これに対して、こう仰せになります。「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることをあなたたちに知らせよう」 と。つまり、「私が天主だから、奇跡を行えるぞ」ということです。それで、内面的の罪の赦しを証明するために、体の治癒を行って、中風の人に向けて、「私が命じる。起きよ、床をとって家に帰れ」 と仰せになります。言われた通り、病人が起きて、床を取り、人々の前を出ていって帰ります 。これをもってご自分の神性を証明します。

他にも、百人隊長のしもべの治癒も、やつれた手の治癒も、二人の盲目者の治癒もあります。出血症の女も、ろうあ者も、エリコの盲目者なども治癒を受けました。
それから、最後のとでもいえる治癒の奇跡として、マルクスの耳の治癒があります。聖ペトロは、剣をもって、そのしもべを打ちます。下手でそうしたのか、狙ったのか不明のままですが、それは兎も角、その耳を切り落とします。そこで、私たちの主イエズス・キリストが、耳を拾い、ふれて治します。
以上は、多くの私たちの主の行う治癒のご紹介でした。
これらの奇跡は全部、主の一生の聖なる完璧な実践と聖なる御教えの神性を証明します。

【死に対する三つの大奇跡】
最後に、死に対する三つの大奇跡もあります。御自分の復活を除外して三つです。福音には三人の復活が記されています。これらこそ、私たちの主イエズス・キリストの神性の一番明白な証拠に他なりません。

先ず、ヤイロの娘の復活を行います。三人の使徒を証人として、一緒に残して、もう既に泣き始めたり葬式の音楽をしていたりしていた人々を皆、部屋から出させます。聖ペトロ、聖ヤコボと聖ヨハネを部屋に入らせて、主が娘の手を取り、起きよと命じます 。苦労もせずに、簡単に私たちの主がこの娘を復活させます。

また、前回に見たナインのやもめの息子もあります。この可哀そうなやもめは、一人っ子の葬式をやらざるを得ないのです。私たちの主が、墓へ進むこの葬式の行列が通るのを見ます。同情して憐れんで、主が行列を止めます。棺に触れて、「若者よ、私が言う。起きよ」 と仰せになります。その瞬間に、死人が起き直ります。復活しました。「イエズスは、息子を母に渡された」 。これで、私たちの主は、ご自分の神性を証明するばかりではなくて、さらに、霊魂を慰めます。この可哀そうなやもめの霊魂を慰めます。

それから、最後の行った甦りの奇跡には、主の友達のラザロの復活があります。この場面では、特にイエズス・キリストの人間性と天主性の両方が示されています。ラザロは主の親しい大切な友人です。大変に大切な友人です。主がラザロの墓に行くと、涙します。それから、ラザロを復活する奇跡を行います。ラザロは洞窟の墓の中に既に置かれ、岩の門で閉じられていた状態でした。ラザロが確かに死んでいたという証拠は、イエズス・キリストが岩の門を取りなさいと頼むときに見出すことができます。「主よ、4日も経っていますから、臭くなっています」 とその時マルタに言われたからです。すでに死んだ時間がたっているということです。それで、石が取られて、主が墓に入ろうともせずに、「ラザロ、外に出なさい」 と仰せになります。するとラザロが出てきます。
以上、私たちの主イエズス・キリストの公生活における主な諸奇跡をご紹介しました。

それから、世々に聖人たちが多くの奇跡を行い続けますが、それができるのは、いつもイエズス・キリストの後に続く形だからです。奇跡は、御教えの神性とその聖人の一生の聖なる実践を証明するためにあるべきことで、必ずそうであります。イエズス・キリストのやった通りです。自分の神性を証明するために行いました。御教えの神性とその実践の神性を証明するために行いました。


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