ファチマの聖母の会・プロライフ

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幼きイエズスの聖テレジア。現代人のための模範。

2022年05月18日 | お説教
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、クレシ(D de Crécy)神父様のお説教をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております



クレシ(D de Crécy)神父様のお説教 
幼きイエズスの聖テレジア。現代人のための模範に。 
2021年9月26日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて

聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン 
愛する兄弟の皆さま、聖マテオの福音には次の言葉があります(11,25)。
「そのとき、イエズスはこう話された、「天地の主なる父よ、あなたに感謝いたします。あなたはこれらのことを知恵ある人、賢い人に隠し、小さな人々に現わされました。」」

「小さな人々に現わされました。」
これは言いかえると、天の御宝を我々のためにもたらしに来給うた物事を表されましたということです。また、以上の御宝はこの世に根強く植えている知恵と賢明さではないということです。

本日、お祝いする聖人はまさに以上の聖書の言葉を生きたことは思い起こされます。彼女はその霊的な幼い道においていつも小さくて、単純で、素直のままでした。愛する信徒の皆様、彼女こそは現代における我々の模範となります。「さあ、わたしを真似して」と彼女は我々を誘ってくれます。このように、もっと素直にいられたら、我らの主をより深く理解できるようになり、また何よりもこの上なくイエズスを愛することが出来るようになるためです。

イエズスは幼い、小さい者のためにだけ啓示することがありますが、これから手短くそれについてご紹介したいと思います。

幼きイエズスの聖テレジアの人生を概観すると、謙遜の徳、天主への愛徳、天主のみ旨に完全に自分をゆだねる徳、また辛抱強く尽くし続ける徳などに満ちています。これらの徳は我々が実践すべき手段です。ですから、幼きイエズスの聖テレジアの人生において、これらの徳の実践を見て、これを模範にして、われわれはどう実践できればよいかヒントになればと思います。

本日は日曜日ですが、聖テレジアは偉大な聖人であり、特にお祝いします。公教会の聖人である上、フランスの守護聖人でもあります。ですから、本日、聖テレジアを特別に祝いましょう。祝日は今日になることが例外です。というのも、来週の水曜日、ロザリオを祝うので(10月の晦日として)、聖テレジアと重なるため、聖テレジアの祝いを本日に移ったのです。ご存じのように10月はロザリオの信心のために特別に捧げられている月です。

幼きイエズスの聖テレジアの人生において何があるでしょうか。
彼女の人生において、何でもかんでもすべては天主に委ねることが特徴です。彼女の人生の流れとその霊的生活を見たら、いつもいつも彼女は例外なしにすべてを天主に委ねて、天主のために行い、得られたすべての功徳を天主に戻します。
ですから、彼女は10年間ほどカルメル修道院に過ごされて、教皇の特別の許可を得てから、14歳の時、入会しました。彼女はさいごにこのように言っていました。「永遠に賛美するだろう、主への賛美を讃え始めましょう。天主のみ旨のままに、多くの霊魂をわたしによせ、改宗し、救われて、聖人になるようになったのですが、これらすべては天主のお陰です。」

これは聖テレジアの謙遜です。また天主への愛です。聖テレジアは深く察していました。自分を通じて実現した多くの働きと功徳は彼女の創造主、救い主、恩恵を与える者を通じてのみで来たことが知っています。

我々もより聖なる人生を歩みたい、よりよく聖人になっていきたいので、聖テレジアが示す霊的な幼い道を歩めばよいのです。幼きイエズスの聖テレジアの後に従えばよいのです。この意味で、聖テレジアは聖人になるための大先生です。



聖テレジアは瀕死の時期、カルメル修道院の慣習に従って、思い病気にかかった修道女は永遠の命に関する観想を述べることがあります。
慣習に従って、聖テレジアは院長に述べました。なくなった日は1897年9月30日ですが、永遠の命についての感想を述べたのは5月28日でした。

「もうじき、天使の言葉しか話せなくなります」
この言葉には我らの主への信仰の徳、信徳が特に現れます。完全にイエズスへ自分を委ねます。最期の最後の日を待たないで、すぐ、早く、一生ずっとイエズスへ自分を完全に委ねることにしています。彼女は天主の道具となり、天主の道具になりたくて彼女がイエズスへ自分を完全に委ねました。日常生活の小さな行為で、自分のすべてを天主のために捧げます。彼女はカルメル修道院に入る以前からもこのような日常、いつも天主にすべてをささげることになっていて、修道院に入ってからも引き続きそうでした。

聖テレジアの幼小期を振り返りましょう。アランソンにて、幼児期、洗礼を受けます。生まれた自宅のすぐ近くにあるバジリカ聖堂にて洗礼を受け、母の死亡までアランソンで住み、そのあと、リジュ―へ引っ越します。親戚の一人が、リジューに家を見つけ、テレジアの父の希望通りに、庭のある家でした。このように、テレジアは毎夜、庭に出て、星々を眺めながら、お茶を見ていました。今でも「聖テレジアのお茶」と呼ばれます。

聖テレジアの人生を見たら、特に目立つことは何もありません。すべては単純で、小さいです。偉大なこともないのです。天主のように単純で単一で、素直です。我らの主、イエズス・キリストはこのように素直で単純でした。人間の目から何も特筆することはないかのように、我々の目から逃れるかのように感じているものの、偉大な聖人となり、死亡後28年を経て1925年、教皇、ピオ11世によって列聖されて、全世界で大きく評価される聖人となりました。

使徒パウロは聖人になることが何であるかを説明してくれました。聖人になることは、これはキリストに倣い、自分に於いて自分自身に死に、キリストにおいて復活し、キリストの生命で生きていくことであると聖パウロは説明してくれます。

聖テレジアはまさにこの一生でした。ずっとずっと、天のことを渇望し、霊的な宝を渇望してやみませんでした。このようなことは実際に実現できるために、条件があります。前提条件として、自分を貶めて、小さくすることです。「Si quis est parvulus, veniat ad me(自分を小さくする者は私のもとにくるように)」(格言、9,4)

まさにその通りです。我らの主を比較したら、我々は何でもありません。天主に比べたら無に等しいです。そして、我々の存在のすべては天主のお陰によってのみ成り立ちます。

ある話を紹介したいと思います。ある日、ある修練女は聖テレジアのところにきて、彼女に言いました。「これから習わなければならない多くの事を考えるとね。。。」聖テレジアは答えました。「むしろ、これから捨てなければならない多くのことと言った方がいいでしょう」。

つまり、霊魂における我らの主の生命の働きを妨げうるすべてのことを捨てるべきだということです。そのために苦行をします。祈ります。このように、聖テレジアは主への渇望の内に生きて、最期まで尽くし続けました。そのために火は消えないようになのが助けになったかというと、イエズス・キリストへの愛を通じてこその天主への愛のお陰でさいごまで耐えられました。

愛する信徒の皆様、天主への愛を主に願って当然です。我々はイエズスを愛するので、よりよくイエズスのために尽くしたいのですが、同時に、イエズス・キリストに彼をよりよく愛出来るように祈りましょう、願いましょう。言いかえると、イエズス・キリストをより深く理解し、愛することが出来るようにイエズスにそのための恵み、恩恵を願いましょう。そして、イエズス・キリストの愛の内にどんどんよりよく生きてい行けるように祈りましょう。

ですから聖テレジアに遠慮なく祈りましょう。フランスの守護聖人である他、宣教師たちの守護聖人でもあります。また聖テレジアは非常に親しみやすい聖人です。我々に近くて、我々とあまり変わらないのです。平凡というか、特別な能力などもなく、だれでも、聖テレジアを模範にできます。聖テレジアを見たら、ためになる何かは必ずあります。

はい、聖テレジアの天主への愛、それから真理への愛に倣いましょう。彼女の母によると、幼い時の聖テレジアはどうしても真理を大切にして、どのような状況になっても事実、真実、ありのままに物事を述べることにしていました。そうすることによって、人間愛を無視して、天主愛だけで動き、創造主と救い主を喜ばせるためでした。

また聖テレジアは修道院に入ってから、苦しい生活ばっかりになっていきました。「十字架上のイエズスと一緒に天主を愛する」と聖テレジアは言ったほどです。ある日、聖テレジアは十字架上のイエズスを見ました。特にイエズスの手は毎日のミサ典書からはみ出すように見えました。それを見た時、イエズスの御苦しみと悲しみを分かち合う、という招きだと聖テレジアはわかりました。そうすることによって、イエズスを喜ばせ、その熱望を養いましょう。

イエズスによって生きていきましょう。聖パウロが言ったとおりです。「私の体をもってキリストの苦しみの欠けた所を満たそうとする。」(コロサイ人への手紙、4、24)

ですから、謙遜の徳、天主への愛すなわち一番高等な愛徳を実践しましょう。愛徳は天主より来て天主のためにあります。この愛徳は無限であり、より広く隣人に分かち合っていきましょう。また善における忍耐力、辛抱強く粘り強くイエズスに於いての道を歩み続ける徳を実践していきましょう。

そのためにどうすればよいでしょうか。第一に、祈りです。祈りこそは最高の手段で、天との絆を強化する祈りです。とくにイエズス・キリストとの結びを強化する祈りです。また聖母マリアをはじめ、聖人たちとの絆も強化されます。ですから、聖テレジアに倣って天主をどんどん渇望して、天主をどんどん愛していき、天主の愛の内に生きて、天主の聖性の内に生きていけるように。

また聖テレジアに倣って、ごく普通な素直な小さき日常の事柄を通じて、天主への愛をこめて実現しましょう。このように、天主の内に我々は成長していけるように、そしてイエズス・キリストを通じて、聖テレジアがいうようにイエズス・キリストをエレベーターであるかのように、彼に乗り、御父へどんどん昇っていきましょう。特に障害、苦しみ、試練などが現れた時は、なおさらのことです。

聖テレジアのミサの間、彼女に祈りして、イエズスの内に生きられるように多くの恵みをとりなしてくださるように願いましょう。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン



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