“信夫山天満宮” は大宰府天満宮から分霊を拝戴と由緒にある “信夫山天満宮” も菅原道真が御祭神
艶が出て貫禄が出た “なで牛” 信夫山天満宮は護国神社境内にある
福島最大のミステリーは・・と言うとその名前がどこから来たかと言う事だと思う。 いくつも説があるようだが木村吉清と言う武将が居城を“福島城”と改名したことに端を発していると言うのが一番オフィシャルになっている説である。 木村吉清は明智光秀が織田信長の家臣だった頃その家来の中にいた。 その時代大阪淀川河口の三角州にあった福島と言う名の島にあった“福島城”を信長軍が攻めたのだがなにせ三角州と言う地形なのでかなり手強かったようだ。 その後会津の城主だった蒲生氏郷の客将となり現在の福島市城山にあった大森城に五万石の城主として木村吉清は初めて福島に登場することになる。 1592年のことで1595年頃には豊後へと移るので3年程しかこの地にはいなかった。その短い期間に居城を大森城から眼下に見える杉目城へと移し城の名も“福島城”へと変えた。当時の人のパワーは凄い。想像するに攻める際にかなり苦労を強いられた淀川河口の福島城と杉目城の立地の印象が重なったのではないかと思うのだが今になってはそれを確認する術はない。 ここで新たな疑問が湧いてきた。そもそも三角州にあった島がなぜ福島と言う名前だったのだろうか。 歴史は遡ると面白くなる。 淀川河口の福島城の戦いから遡ること700年。 この島に立ち寄った人がいた。 その方は菅原道真であった。当時この島は餓鬼島と言われていたそうだ。そこで余りにも縁起が良くないと言われ“福島”に改名されたと言う。 福島市の真ん中にある信夫山に大宰府天満宮から分霊された信夫山天満宮がある。 福島のもう一人の名づけ親はそのことを教えに来てくれていたのだった。