宝積寺 伊達家15代 伊達晴宗の墓
長楽寺 長楽寺境内から見える宝積寺は近い
今も残る福島城内 外側の道・右は長楽寺座禅堂 宝積寺と長楽寺の間にある濠の絵図・福島テルサにて
痕跡を探して街のなかを歩くのは楽しい。 手元にある資料によると今歩いている道は福島城があった時代には外濠であったところである。 確かに阿武隈川が近く 川に向かって緩やかに傾斜していた。 目の前には二つの寺 宝積寺と長楽寺が建っている。 宝積寺には伊達政宗の祖父に当たる伊達晴宗の墓がある。 奥州一の美人と言われ略奪婚だったとも言われている正室の久保姫が 晴宗の死後建立した寺とされている。 墓は確り管理されていて今日まで守られて来た事がわかる墓であった。 その二十年程後に 上杉氏の武将であった本庄繁長が建立したのが長楽寺である。 本庄氏の菩提寺となっている。 外から二つの寺を眺めていると道路を挟んでと言うのではなく 本当に近接して建っている。 しかも同じ曹洞宗である。 伊達政宗は現在では街のシンボルとなっている信夫山に陣を張り本庄繁長と睨みあった後仙台に敗走した。 本庄繁長が福島城を整備した際 二つの寺の間に濠をほった。 その結果 濠の外側となった宝積寺は城外となり内側の長楽寺は城内になった。 伊達氏と上杉氏の歴史を思うとわかる気がする。 ただもう一方で この時代は阿武隈川等の氾濫で至るところに氾濫原があり土地の高低差をみて濠をほったと言う事もあるとは思うが やはり歴史から来る解釈の方が人間らしくていい。