おもしろい は 気儘に

おもしろい を見つけた!!

歴史は濠でつくられる

2015-09-30 14:41:26 | 日記

    

                  宝積寺                                  伊達家15代 伊達晴宗の墓

    

                 長楽寺                             長楽寺境内から見える宝積寺は近い

    

   今も残る福島城内 外側の道・右は長楽寺座禅堂        宝積寺と長楽寺の間にある濠の絵図・福島テルサにて

   痕跡を探して街のなかを歩くのは楽しい。 手元にある資料によると今歩いている道は福島城があった時代には外濠であったところである。 確かに阿武隈川が近く  川に向かって緩やかに傾斜していた。  目の前には二つの寺 宝積寺と長楽寺が建っている。 宝積寺には伊達政宗の祖父に当たる伊達晴宗の墓がある。                                                               奥州一の美人と言われ略奪婚だったとも言われている正室の久保姫が 晴宗の死後建立した寺とされている。 墓は確り管理されていて今日まで守られて来た事がわかる墓であった。  その二十年程後に 上杉氏の武将であった本庄繁長が建立したのが長楽寺である。 本庄氏の菩提寺となっている。                                               外から二つの寺を眺めていると道路を挟んでと言うのではなく 本当に近接して建っている。 しかも同じ曹洞宗である。                                                          伊達政宗は現在では街のシンボルとなっている信夫山に陣を張り本庄繁長と睨みあった後仙台に敗走した。 本庄繁長が福島城を整備した際 二つの寺の間に濠をほった。 その結果 濠の外側となった宝積寺は城外となり内側の長楽寺は城内になった。 伊達氏と上杉氏の歴史を思うとわかる気がする。  ただもう一方で この時代は阿武隈川等の氾濫で至るところに氾濫原があり土地の高低差をみて濠をほったと言う事もあるとは思うが やはり歴史から来る解釈の方が人間らしくていい。

 

 


砂の彫刻が出現した

2015-09-22 11:25:15 | 日記

       

         砂で作られている “砂像”                     細部にまで繊細で素晴らしい

     

    “砂像”を制作した レオナルド ウゴリニ さん             砂の美術館 とは                    click!! 

       

              福島駅 駅前広場の “砂像”                                     もうすぐ完成 

   突然 砂の彫刻が街の中に現われた。 9月の連休(シルバーウィーク)に行われたイベントである。 土曜から始まった “砂像” 作りは今日 月曜に完成した。                                              鳥取県にある 砂の美術館 による制作で、作られた場所は福島駅駅前広場と街なか広場の2か所であった。 材料となった砂は川砂だそうで福島県内から持ってこられていた。 大きめなメジャーを使い型枠で砂を積み上げて行き水を掛けて固めながら作って行くと言う時間を掛けた制作で完成した“砂像”は細部にまで繊細で正に彫刻であった。                                              駅前広場の“砂像”は日本人複数のスタッフで制作していたが 街なか広場ではイタリア人のレオナルド ウゴリニさんが一人で制作していた。 レオナルドさんは世界的に著名な砂像彫刻家だそうで今回作られていた砂像も繊細で素晴らしい作品であった。                                                    冬になると札幌で行われる雪まつりの 雪像 作りを連想させる 砂像 作りであるが こちらの像は より脆く元の砂に戻ってしまうのも早い。 その為 作品の展示も完成した今日で終了すると言っていた。 ああ ~ もったいない!!。 福島市の街なかには11体の彫刻があるが12体目は幻の彫刻となってしまう。     せめて映像に残しておかなくてはとシャッターを切り続けていた自分がそこにいた。

  


信夫山にある 大わらじ

2015-09-05 13:22:53 | 日記

            

            羽黒神社への登り口                     参道は硬い岩が露出して歩き難い

                     

                   羽黒神社境内                         奉納された大わらじ

                            

                 2つの大わらじが奉納                この大きさに驚く

                

          福島駅前から信夫山は近い                  観光パンフレットのマップ      click!!

 

   とてつもなく大きな“わらじ”が信夫山の羽黒神社に奉納されるようになったのは江戸時代からだそうで既に400年近くたっている。 今では幅1.4m、長さ12mそして重さが2t と巨大化している。 そのわらじは毎年2月10、11日に行われる 暁まいり で100名程の担ぎ手が市内を練り歩いた後 信夫山の険しい参道を担ぎ上げ奉納されている。 また、夏になると行われる“わらじ祭り”で“もう片方のわらじ”が奉納されて半年掛けて両方が揃うという流れになっている。 五穀豊穣や健康祈願として健脚を願って始まったそうだが 脚が健康の基本と言うのは昔も今も変わっていない。                                                             信夫山の生い立ちを調べてみるとそこからも“わらじ”との結びつきが見えてくるように思える。 大昔、まだ大陸と地続きであった日本列島が徐々に大陸との間に亀裂が出来そこに海が進出して今の日本海が出来た。 西から拡大してきた海は今の阿武隈山地の近くまで迫って来ていたそうだ。 福島盆地は海底にあった。 その後の隆起と火山活動で現在の姿になったと言うのだが 信夫山にもマグマが上がってきて噴火こそしなかったもののその熱によって地盤が固く変質した為 後に起きた地盤沈下で沈まずに残ったと言われている。 そして高さは低いもののその険しさから山伏が多く修験をしていた時代もあったと言うことからも“わらじと健脚”のイメージもわいてくる。                                          羽黒神社で大わらじを見てから今でも残る修験道をその時代に思いを馳せながら歩くのも楽しい。