おもしろい は 気儘に

おもしろい を見つけた!!

福島のミステリー 信夫山にそれはあった

2017-07-31 17:50:08 | 日記

 

            

             “信夫山天満宮” は大宰府天満宮から分霊を拝戴と由緒にある                   “信夫山天満宮” も菅原道真が御祭神            

              

                     艶が出て貫禄が出た “なで牛”                            信夫山天満宮は護国神社境内にある

    福島最大のミステリーは・・と言うとその名前がどこから来たかと言う事だと思う。 いくつも説があるようだが木村吉清と言う武将が居城を“福島城”と改名したことに端を発していると言うのが一番オフィシャルになっている説である。                                                                              木村吉清は明智光秀が織田信長の家臣だった頃その家来の中にいた。 その時代大阪淀川河口の三角州にあった福島と言う名の島にあった“福島城”を信長軍が攻めたのだがなにせ三角州と言う地形なのでかなり手強かったようだ。                                                                             その後会津の城主だった蒲生氏郷の客将となり現在の福島市城山にあった大森城に五万石の城主として木村吉清は初めて福島に登場することになる。 1592年のことで1595年頃には豊後へと移るので3年程しかこの地にはいなかった。その短い期間に居城を大森城から眼下に見える杉目城へと移し城の名も“福島城”へと変えた。当時の人のパワーは凄い。想像するに攻める際にかなり苦労を強いられた淀川河口の福島城と杉目城の立地の印象が重なったのではないかと思うのだが今になってはそれを確認する術はない。                                                                            ここで新たな疑問が湧いてきた。そもそも三角州にあった島がなぜ福島と言う名前だったのだろうか。                                                歴史は遡ると面白くなる。 淀川河口の福島城の戦いから遡ること700年。 この島に立ち寄った人がいた。 その方は菅原道真であった。当時この島は餓鬼島と言われていたそうだ。そこで余りにも縁起が良くないと言われ“福島”に改名されたと言う。       福島市の真ん中にある信夫山に大宰府天満宮から分霊された信夫山天満宮がある。 福島のもう一人の名づけ親はそのことを教えに来てくれていたのだった。


  

 

 

 

 

  


レトロな街には夕景が似合う

2017-07-05 19:30:06 | 日記

        

          八角形の塔屋は港のシンボル                             ・・・門司港・・・

       

         大正時代に建てられ修復された煉瓦の建物                   旧門司税関・・ウッドデッキが目を引く

       

              夕方を迎えた港                             関門海峡を隔て日本海に沈む太陽

       

            跳ね橋に明かりが灯る                                 港の夜景

        

       門司港駅のプラットホーム “なかなかいい”              友人と会った熊本駅では巨大な“くまモン”がお出迎え

    こちらをチラチラ見ながら目の前を通り過ぎて行った“オジサン”。 私にも彼だとはわからなかった。 数十年振りに会った友人である。   お互いすぐに見つけられると思っていたのだが やはり長い歳月は容姿を変えてしまっていた。 九州に来ている目的の一つはその友人と会う事であった。(懐かしかった)                                                                                           “なつかしい” このキーワードで歩いてみたかった所が門司港である。 港の周りに点在している明治,大正の建物を訪ねながら歩いてみたが 港そのものはそれ程大きくはなかったものの 目の前の関門海峡を多くの船が行きかう様を見ていると ここが重要な港であった事を実感させてくれた。                                                                                                                                                                                      黄色いジャケットを着た人が近づいて来た。 街のガイドをしている人だった。 「今 門司港駅の駅舎が修復工事の最中で残念ながらご覧いただけないので・・・」と言って門司港駅の絵葉書を手渡してくれた。 駅舎は国の重要文化財になっていて最初に駅ができた当時の姿に戻す工事をしていると話していた。 写真で見る限りレトロ感たっぷりの駅舎だったので、今日電車が駅について降り立ったプラットホームの印象がよかっただけに 今回見ることが出来ないのが改めて残念であった。                                                                                                                                                    さて 陽ざしが傾いて来たのでもう一回りすることにしよう。 夜に向かって昼間とは違った表情を見せてくれることを期待して。  

  


長崎は“さるく”で決まり

2017-06-21 14:52:27 | 日記

      

                          出島の入り口にあった“出島絵”                            出島のミニチュア(1/15)

      

         復元中の出島の街並み                                    出島からも近い眼鏡橋

      

        グラバー邸                        当時の技術では限界だった薄いレンガ(コンニャクレンガ) 

      

        オルト邸とアジサイ                                        長崎港

     “街あるき観光”と言う観光の形態が全国に浸透し それぞれの街の 新しい魅力の発見に繋がっているようだ。 旅行ガイドブックとは異なり 地元の人の視点で作られている観光ルートマップは 確かに外からの来訪者には新鮮である。                                                             これは2006年に長崎で開催された 街あるき博覧会 がきっかけで始まった“長崎さるく”がその草分けと聞いた。                                                                  その“長崎さるく” ( “さるく”とは街をぶらぶらあるくという長崎の方言)のガイドツアーを楽しんできた。 沢山あるコースの中から選んだのは基本中の基本である オランダ坂 であった。                                                                                                長崎は坂の街。その歴史を繋いできた坂を歩きながらどんな話が聞けるのかが楽しみだった。 いろいろ聞けた話の中で以外だった話があった。 それは 出島 についてである。                                                                                    出島 と言えば扇形をした人工島が描かれた絵を誰しもが思い起こすと思いますが なんとその 出島 が二つあったと言うのだ。                                                               オランダと交易をした出島。 そしてもう一つは 今は中華街となっているエリアで当時中国と交易をしていた 出島 だったという。                                                                                                      現在は埋め立てによって二つの 出島 とも陸地に取り込まれているが 歴史は地形を変えてしまうところも面白い。                                      ガイドの方と別れた後向かったのはもちろん 出島 だった。


なつかしのヒーローがこの街にいた

2017-06-12 19:20:05 | 日記

        

                             懐かしいヒーロー ・・・                              今ここに

            

          ガ オ ~ ~                                        空へ飛び立つ・・か な                     

            

                        坂の上の神戸北野異人館                         よく知られた曲が聞こえてきたような・・    

            

           北野の高台から見た街の中心地                         目の前を横切って行った・・ 神戸の港

    “高さが18メートルあるので奈良の大仏よりも大きいですよ。” と 教えてくれたのはこの街に住む人だった。 この巨大なモニュメントの前で固まっていた私に話しかけてきた人は  “昨年化粧直しをしたばかりなので迫力があるでしょう。” と少し自慢げに話を続けた。                                                                                                        漫画本やTVアニメで追いかけまわした子供たちが多かった時代 私もその中の一人だった。                                                                            目の前の 鉄人28号 ・・・ アニメの中でのサイズ感とおそらく同じであると感じた。 感激した。                                                                  足元から見上げていると今にも踏みつぶされてしまいそうな気もしたが ヒーローはそんなことはしない・・・ 何十年か振りに当時がよみがえってきたのが楽しかった。                                                                                                         そもそもなぜこの場所にいるのだろうと思っていたら 生みの親である横山光輝さんがここ神戸市長田区の出身で現在は町おこしのヒーローとして登場しているそうだ。                                                                                              鉄人の前にアーケード商店街が続いていたのでその中を歩いていたら聞こえてきました テーマソングが・・・ ああ懐かしい!!                                                                     近くで停車したバスから降りてきた外国人の団体が 鉄人の前で思い思いの鉄人ポーズで写真に納まっていた。 皆さん楽しそう・・・         神戸におもしろスポットが加わったようである。


この牧場が “まきば” だった

2017-04-24 15:06:51 | 日記

 

      

         “岩瀬牧場”の旧事務所(現在は歴史資料館)と満開の桜                              歴史資料館から臨む牧場の庭園

      

            庭園内の桜は樹齢120年とも言われる                           1907年にオランダから贈られた記念の鐘

      

       コンクリート製サイロとしては日本最古(オランダ製) 建物は牛舎                        牧場へと続く並木道にも立派な桜が

      

            近くにある“鳥見山公園”に寄ってみた                                       切り株に桜が迫る

     東北新幹線が福島県を走り抜けていくエリアは “中通り” と言われ、ここの桜前線は北に位置する福島市から始まり郡山、白河へと南下していく。 普通の感覚とは逆さなのがおもしろい。                                                                                                                    実は昨日 福島市内は強風が吹き荒れていた。満開だった桜の花びらもその殆んどが飛ばされてしまった。 鏡石町の桜はどうなっているのだろうと少し心配をしたが 郡山市より少し南にあるので開花は福島市より遅かった分花自体にも力が残っていて今が丁度見頃を迎えていた。                                                                                                     鏡石駅前から続く桜並木を楽しみながら歩いて行くと程なく岩瀬牧場に着いた。 この牧場には樹齢が120年に及ぶ桜の古木がある。                                                                                                                                  明治天皇がこの地の開墾について話をされた事が発端となって当初 “御料牧場” としてスタートされたのが1880年。 この時に植えられた桜が今でも残っていると聞いた。 おそらくこの桜だと思われる満開の写真を見てからはどうしても本物に会ってみたいと思っていた。 古木は花だけでなく幹にも目を奪われてしまう。 その太さと張り出した枝からは過ぎ去った長い年月を語り掛けてくるように感じられるところが堪らない。                                                                                                                                     この岩瀬牧場に来たかった理由は他にもあった。 小学生のころ耳にした(授業で歌ったかも)“まきばの朝” のモデルになった牧場と言う事である。この牧場からあの歌が生まれたんだなと思いながら歩いていたら忘れていた歌詞の断片が頭の中に蘇ってきたのは楽しかった。                                                                                                                                                                   ここでの締めくくりと言えばどうしても外せないものがある。   それは濃厚な味のソフトクリーム・・・勿論 期待通りであった。