“協調”
[名](スル)互いに協力し合うこと。
特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。「労資が―する」「―性」
“同調”
[名](スル)
1 調子が同じであること。同じ調子。
2 他に調子を合わせること。他人の意見・主張などに賛同すること。「彼の提案に―する」
3 受信機などで、特定の周波数に共振するように固有振動数を合わせること。
-------大辞泉より。
いきなり何だと思われたかもしれませんが、今日は僕の考えと、
僕の身に実際起きた出来事について書きます。
上記から推測されたかもしれませんが、“協調性”についての記事です。
あまり面白くなく、また冗長な記事になるかもしれないので、興味のある方のみご覧下さい。
数日前、とある学部時代からの知り合い(あまり親しくない)から、
お前は協調性がないよな、と指摘されました。
・・・僕は会話する相手が誰であれ、
多少なりとも相手のことを思いやりながら接しているつもりであったので、
これはちょっと心外でした。
相手を思いやる気持ちを僕がどれほど与えているのか、
そしてどれだけ相手に伝わっているかは、僕には正直分かりません。
おそらくこの記事を閲覧している皆さんも、
自分自身のその気持ちがどれほど強く持ち、またどれほどそれを伝えているか、
ということを表現することは出来ないと思います。
「自らの気持ちを100%伝えることが出来る、また伝わっている」
と主張できる人がもし居て、またその方にお目にかかることが出来れば、
僕は涙を流してその人の前にひれ伏すことでしょう。
話が逸れました。
知り合いに協調性がないと指摘されたことについてです。
その時、その指摘されたことが少なからず心外だったこともあり、なおその原因について尋ねてみました。
すると、ポツポツと話を聞く限り要は、
僕は「他の人の意見をあまり熱心に取り入れない」という性格だからだとのことでした。
「他の人の意見を正確また柔軟に解釈、吟味、時には取捨選択をし、それを自分の中に取り込んでいく」
ということは確かにとても重要です。
そのことは「生きること」そのものを示すことかもしれません。
自分が現在、精神的に完全ではないこと、これは無論僻むべきことではありませんが、
完全に向かおうとする意識が惰弱なことは、僻むべきことかもしれません。
そういう意味でその言葉を捉えると、僕は彼に感謝をしなくてはなりません。
何の得もないのにわざわざ僕に指摘をしてくれたのですから。
・・・しかし、その場で感謝の気持ちは伝えたのですが、
その時何故か彼の言葉の中に引っかかるものがありました。
・・・僕が上手く文章に残せないのがとてももどかしいのですが、
つまりは彼の指摘は、どうも彼自身によるもののようには思えなかったのです。
僕は僕の意見を述べ、世間や社会のことは何も語っていなく、
彼自身がどう考えているのか、ということを尋ねているのに、
その上で「他の人の意見をあまり熱心に取り入れない」と指摘してくれたと思っていたのに、
僕とのやり取りの中で彼は、世間や社会は僕の考えをどう受け取るか、ばかりを答えてきたのです。
(彼は数ヶ月前に就職活動を終えたばかりだったことも手伝ってか、自分がより世間を知っていると感じたのでしょう)
そしてまさかとは思ったのですが、僕は彼にこう尋ねたのです。
「社会ではどのような考えが主流なのか、どういう考えが受けるのか、ということは分かった。
では、その社会で受け入れられるような価値観から判断して、僕には協調性がないと思うのか」と。
すると、彼は「そうだ。」と答えたのです。
・・・僕には、閉口してただ笑みを浮かべることしかしませんでした。
「協調と同調を履き違えてないか」
または、
「お前こそ自分の意見を持ちつつ他人の話を聞くだけの協調性があると言えるのか」
と反論できるには十分でしたが、
争い事はくだらないとも考えていたので、その話はそこで終わりにしました。
・・・・・という出来事があったのです・・。
こういう記事は結論が非常に難しいのですが、
あえて書きます。
人のふり見て我が振り直せと!
彼にも、僕にも言えることですけれどね。
彼には記事のタイトルの言葉を教えてあげても良かったかもしれません。
僕の好きな孔子の言葉で、
「皆が悪いとする事柄(もしくは人)を、必ず自らが調べ、皆が良いとする事柄でも、必ず自らが調べるべきだ」です。
面白くない記事で恐縮です。
eu-gdでした。
[名](スル)互いに協力し合うこと。
特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。「労資が―する」「―性」
“同調”
[名](スル)
1 調子が同じであること。同じ調子。
2 他に調子を合わせること。他人の意見・主張などに賛同すること。「彼の提案に―する」
3 受信機などで、特定の周波数に共振するように固有振動数を合わせること。
-------大辞泉より。
いきなり何だと思われたかもしれませんが、今日は僕の考えと、
僕の身に実際起きた出来事について書きます。
上記から推測されたかもしれませんが、“協調性”についての記事です。
あまり面白くなく、また冗長な記事になるかもしれないので、興味のある方のみご覧下さい。
数日前、とある学部時代からの知り合い(あまり親しくない)から、
お前は協調性がないよな、と指摘されました。
・・・僕は会話する相手が誰であれ、
多少なりとも相手のことを思いやりながら接しているつもりであったので、
これはちょっと心外でした。
相手を思いやる気持ちを僕がどれほど与えているのか、
そしてどれだけ相手に伝わっているかは、僕には正直分かりません。
おそらくこの記事を閲覧している皆さんも、
自分自身のその気持ちがどれほど強く持ち、またどれほどそれを伝えているか、
ということを表現することは出来ないと思います。
「自らの気持ちを100%伝えることが出来る、また伝わっている」
と主張できる人がもし居て、またその方にお目にかかることが出来れば、
僕は涙を流してその人の前にひれ伏すことでしょう。
話が逸れました。
知り合いに協調性がないと指摘されたことについてです。
その時、その指摘されたことが少なからず心外だったこともあり、なおその原因について尋ねてみました。
すると、ポツポツと話を聞く限り要は、
僕は「他の人の意見をあまり熱心に取り入れない」という性格だからだとのことでした。
「他の人の意見を正確また柔軟に解釈、吟味、時には取捨選択をし、それを自分の中に取り込んでいく」
ということは確かにとても重要です。
そのことは「生きること」そのものを示すことかもしれません。
自分が現在、精神的に完全ではないこと、これは無論僻むべきことではありませんが、
完全に向かおうとする意識が惰弱なことは、僻むべきことかもしれません。
そういう意味でその言葉を捉えると、僕は彼に感謝をしなくてはなりません。
何の得もないのにわざわざ僕に指摘をしてくれたのですから。
・・・しかし、その場で感謝の気持ちは伝えたのですが、
その時何故か彼の言葉の中に引っかかるものがありました。
・・・僕が上手く文章に残せないのがとてももどかしいのですが、
つまりは彼の指摘は、どうも彼自身によるもののようには思えなかったのです。
僕は僕の意見を述べ、世間や社会のことは何も語っていなく、
彼自身がどう考えているのか、ということを尋ねているのに、
その上で「他の人の意見をあまり熱心に取り入れない」と指摘してくれたと思っていたのに、
僕とのやり取りの中で彼は、世間や社会は僕の考えをどう受け取るか、ばかりを答えてきたのです。
(彼は数ヶ月前に就職活動を終えたばかりだったことも手伝ってか、自分がより世間を知っていると感じたのでしょう)
そしてまさかとは思ったのですが、僕は彼にこう尋ねたのです。
「社会ではどのような考えが主流なのか、どういう考えが受けるのか、ということは分かった。
では、その社会で受け入れられるような価値観から判断して、僕には協調性がないと思うのか」と。
すると、彼は「そうだ。」と答えたのです。
・・・僕には、閉口してただ笑みを浮かべることしかしませんでした。
「協調と同調を履き違えてないか」
または、
「お前こそ自分の意見を持ちつつ他人の話を聞くだけの協調性があると言えるのか」
と反論できるには十分でしたが、
争い事はくだらないとも考えていたので、その話はそこで終わりにしました。
・・・・・という出来事があったのです・・。
こういう記事は結論が非常に難しいのですが、
あえて書きます。
人のふり見て我が振り直せと!
彼にも、僕にも言えることですけれどね。
彼には記事のタイトルの言葉を教えてあげても良かったかもしれません。
僕の好きな孔子の言葉で、
「皆が悪いとする事柄(もしくは人)を、必ず自らが調べ、皆が良いとする事柄でも、必ず自らが調べるべきだ」です。
面白くない記事で恐縮です。
eu-gdでした。
直すまでもないですが、一応。
>人の日記見て、おれもがんばろとおもった
というコメントのタイトルがちょっと嬉しいですね。
箸休め程度の間隔でこれからも見て行ってください。
ちなみにコメントを記入する際に名前を入力してくれると、
eu-gdはとても喜ぶようですよ。
higamu→space…ほんとだ僻むだw
thanks!!
>きっとずいぶんと悩んで書かれたのでしょうね。
あ、お見通しですか(笑)
>客観的に分析し、纏められていることは素晴らしい
ありがとう。それが僕の取り得なんです。
単純に感情を交えて喜怒哀楽を表現するよりは、
第三者的に物事を捉えることの方が得意なんですわ。
>「そんな同調を融和と捉える中にあって如何に他人の考えを『聴く』のか」
そう、そうなんです。それが以後の社会に住む全員の課題なのですよね。
僕は人一人を観て、世の人の思考がどのような傾向にあるのかを判断できる程優れた観察力を持っているわけではありません。
そう、「木を見て森を見る」ことの出来る立派な人間ではないです。はっきりいって欠点だらけ穴だらけの人間です。
立派な人間ではありません・・が、この出来事があって、
またまじかるさんの意見を聴き感じたことがあります。
[以降妄想(笑)]
かつて古きよき時代には、日本人は「協調」を美徳と考えてきた。
世の中にはきちんとそのことを踏まえた人が多くいた。
しかし、いつしか「同調」を「協調」と捉える人達が現れてきた。
その為「同調」=美徳というような思潮が生まれ、
波風をたたせないような生き方こそが現代では美しいと思われているのではないかと考えたのです。
最近では、その弊害が上記のような形となったり、
僕らにとって身近なところでは、
「ゼミでの質疑応答が活発でない」(そんなことは無いかな?研究室によってまちまちかな?)
などに表れているように思えるのですよ。
おっと、これ以上は別の話題になってしまいそうなので、
この辺りで止めにしておきます。この時点で十分冗長だと思ったので(笑)
さんたっくもまじかるも、
こんな僕の記事に対してそれぞれの見解から、
それぞれの優れた意見を付け加えてくれたので、
正直に僕はいい友人を持ったと、とても感激してます。
二人には本当に感謝です。どうもありがとう。
>烏龍茶の長城は大人の特権だと思いますよ。大丈夫、あなたは素敵ですw
烏龍茶→購入本数が100本を超えたよ。
これからも素敵な自分を成長させようと思ってる(笑)
まず、あなたが感情に任せずこれだけ客観的に分析し纏められていることは素晴らしいと思います。きっとずいぶんと悩んで書かれたのでしょうね。お疲れ様です。
さて、そんなあなたの記事を読んで僕が感じたのは「彼」がどういう意図でそれを言葉にしたのか、ということに対する恐怖です。というのも、「彼」にとって『あなたの考え方が主流ではないと言及すること』そのものが社会に同調しているつもりだったら……ということが想起されたためです。
僕は社会なんて見たことが無いのでわかりませんが、「彼」がわずか数ヶ月間の間に垣間見た社会が、社会に同調しないものに同調させることが社会的に正しい行為であると「彼」に伝えていたとしたら。それはとても怖いコミュニティではないでしょうか。
少し論点がずれてしまいますが、仮にそうだったとしたら僕達がこれから探さなくてはいけない答えというのはもしかしたら「そんな同調を融和と捉える中にあって如何に他人の考えを『聴く』のか」ということなのかもしれません。
初めてのコメントでだらだらと申し訳ありませんでした。以後気をつけます……。
追記)烏龍茶の長城は大人の特権だと思いますよ。大丈夫、あなたは素敵ですw
僻む→「ひがむ」って読むんだよ。
基本的には
「物事を素直に受け取らないで、曲げて考える」という意味だけど、
「考え方がまちがっている」という意味もあるんだ。
この話、他の人の考えを素直に受け取ろうとしない自分がまずいけないという話なんだよね。
いや、謙遜でもなんでもなく。
「聞く」より「聴く」力をつけたいよ・・。orz
>大人だな~eu-gdさん。
僕は子供(むしろガキ)だよ・・
ちゃんとした大人だったら烏龍茶の長城なんて建設しないって(笑)
一人の人間が経験できるのなんて、世間&社会のほんの一部だろうしね、ましてや半年やそこらの就活で見える世間&社会なんてたかが知れてるよね。(協調と同調がごっちゃな世界か…あっ!?俺もやるかも…)
でも、「彼」が経験した、きっとしんどかっただろう就活の中でえたことから出てきた指摘なら、eu-gdさんが就活するときの参考ぐらいにはなるんでないでしょうか?きっと、「彼」なりにそうしたほうが良いよとおもって指摘してくれたことなんだからだから…って感謝してるね、大人だな~eu-gdさん。
あ~~しょっぱい、しょっぱい、汗っかきだからかな?
コメントもしょっぱくなっちまった
でもね、漢字難しすぎ!
「僻むべき」ってなんて読むの?