バカジャージ

バカ。奈良在住。酒に弱い。一応社会人。30歳。オス。バカ。嫁、娘(201107誕生)の3人住まい。

思考

2006年02月01日 03時15分13秒 | 雑記
今晩は。eu-gdです。今日の記事は自分の中ではかなりの長文です。
久しぶりに普段考えていることでも書いてみますね。
あらかじめ書いておきますが、気分が落ち込んだわけではないので、ご安心ください。



ある特定の言葉(単語や表現)に嫌悪感を示す人間というのは、どこにでもいると思います。
ある人が、ふと軽い気持ちで言った、もしくは書いたある言葉が、それを受け取った人間にとっては、
「吐き気をもよおす程の嫌悪感」を示す言葉だったりすることがあります。

だからと言って、「全ての人が肯定する」ような文章を気にしていたら、何も文章は書けないと考えています。
全ての人間が肯定する、ということを言い換えれば、全ての人間が同じように感じるということになります。
書籍なら筆者、ブログなら投稿者の意図を全て受け取ることが出来る文章というのが、果たしてこの世にあるでしょうか?

僕は未だかつてそのような書籍を読んだことがありません。
あるのならお目にかかりたいものです。

ともあれ、自分の書いた記事が、誰かを喜ばせていることは事実であると思います。
現に友人は僕のブログを見て、面白いと言ってくれています。非常に有難いことです。

しかし、そこで、上記のような理屈を持ち出すならば、(理屈というと毛嫌いする人がいるかもしれませんが)
僕の書いた記事が、人を喜ばせていると同時に、
人を傷つけている、ということが考えられるのです。

このブログを面白い、と感じられている方の中には、
「そんなことは無い、eu-gdさんはそんな記事を書いていない」と仰る方も居るかもしれません。
それはそれで非常に有難い方だと思っています。脱線しますが、ここで改めて、深く感謝します。

先程、昔の自分の記事を読み直しつつも考えていたのですが、僕自身でも、
人を中傷するような記事を書いたつもりはないのです。

ここで、アンダーラインを引いたところがポイントです。非常に重要なポイントです。

そう、カンの良い方はもうお気づきのことでしょう。
自分としても、所詮「つもりはない」のです。

つまり、僕の言いたいことは、

「読み手がその深遠でどう感じたかなんて、記事を書いている本人には到底分からない」

ということなのです。



・・・ここまでの話で、もしかしたら2通りの考えが生まれているかもしれません。

①「読み手の気持ちなんて分からないから、読み手は無視して自分の思ったとおりに記事を書く。」
②「読み手の気持ちなんて分からないが、最低でも中傷になっていないかを自分で考えながら記事を書く。」

人の意見にイチャモンを付けるというのは最も僕が苦手とすることですが、ここは敢えて言いましょう。
①は 最 悪 で す 。なぜならば、ここでは、書き手が読み手の存在を居ないものとしているからです。
下手をすると読み手が「読んでいるとイライラする」、そんな記事になりかねません。

一方で②の方はどうか。
これは一概には言えませんが、比較的良い方法だと思います。
一般的には読み手との円満かつ円滑なコミュニケーションが図れると思います。
何故かは、単純なことです。その読み手も、書き手を中傷しないようにするからです。



それで、です。

この話はここでひと段落しているのですが、ここで、皆さんにお知らせです。

僕が皆さんの心を、その深遠まで理解しているだなんて、そんな事は無論これっぽっちも思っていません。
ですが、逆を返せばそのことは、皆さんも僕の心の奥底なんて分からない、というわけですよね。

いや、お分かりのことでしょうが、これは大事なことだと思うんですよ。


もうまとめに入りかけています。もう少しだけお付き合いください。


ここで、多少唐突な感じもしますが、今日は、
少しだけ、皆さんに僕の「心」をお知らせしたい、つまり思考の内容を見せたいと思います。



「心」といいますのは、
・・・冒頭の段落にありました、「吐き気をもよおす程の嫌悪感を示す言葉」のことなんです。

人それぞれにあるとおり、当然僕にとってもそれはある、ということを、皆さんにどうしても伝えたかったのです。


実は、僕にとってのそれは、

「できちゃった結婚」

・・・・なんです。

「あれ?ちょっと拍子抜けだなぁ」と思われた方も居るかもしれません。
ですが、この言葉は、僕にとって、「どんな時に見ても腹の中が煮えくり返る言葉」なのです。

何故かを言わずとも、アンダーラインに注目すれば、分かる方も多いことでしょう。

「ちゃった」とは何事だ、と言いたいのです。

世の中には不妊症に苦しむ夫婦だって少なからずいるのですよ。
また、世の中には、若くしてレイプを受け、結果人工中絶をせざるをえなかったような、
一生の傷を受けた人も中にはいるかもしれないのですよ。

それを、その「命」を渇望している人をそっちのけで、
「ちゃった」で表現するとは、何事だ、というわけです。

・・・「できました結婚」、少なくとも「できた結婚」と表現すべきなんですよ!(強調)


ふぅ。この事を書いていると、予想していたことではありますが、無限に憤りを感じ始めてしまいました。
なので、この考えを述べるのは、ここで止めておきますね。



疲れたので、この話はここで終了させてもらいます。




あとがき:


当然ながら、全面的に僕の意見が世の中において正しいだなんて思っているわけがありません。
僕の意見の正しいという割合なんてものは、せいぜい40%くらいじゃないかと思っています。
妄信なんてしないで下さいね。eu-gdの奴が言ったから正しいだなんて思うと非常に危険ですよ。
第一に僕がそんな責任の持ち方をしません。僕が責任を持つのは、
このブログに書いた内容を、きちんと僕自身が思っている、というだけですから。