私が、2004年4月の佐藤学長の復帰講演会での佐藤学長との出会いが、なぜ号泣するほど感動したのか、そのバックグランドにある私の過去について書いています。
私は、佐藤学長と出会う前に、心の病になり、何度も繰り返しました。
その時に、初めて真理との出会いがあり、心の病に対して、真理からのアプローチで対峙してきました。
私が、心の病に、どのように対峙して、回復への道をたどったのか、
その後の佐藤康行学長との初めての出会いに、なぜ感動したのか、魂動したのか、少しでもご参考になれば嬉しいです。
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前回に続きます。
ヨガの先生の指導の元、医者では考えらないくらいの奇跡的な回復を見せた弟。
しかし、そのリハビリ途上で立ちはだかる父親の価値観。
そしてさらに、弟にとっては致命的な出来事が起こります。
父親が、弟の会社に出向き、弟がうつ病になり働けなくなったのは、会社の責任であると訴え出てしまったのです。
新聞記者だった父親は、弁護士や、警察関係者とも人脈を持っており、色々な知識を仕入れ、会社を訴えようと動き始めました。
まだ時期はわからないが、もしかしたら弟が会社に復職できるかもしれない。会社も受け入れ体制を準備しようとしてくれていた頃です。
しかし、父親が訴え出てしまったことで、事態は変わってしまいました。
具体的にはどういう形なのかは私は知りませんが、会社を退職する代わりに、会社から、半永久的に毎月ほぼ一生10万から20万くらいの保障金を振り込んでもらうという条件を勝ち取ったらしいのです。
一見、弟が働かなくても生活ができるお金が、無条件で入ってくるようになった。
父親としては、弟の命を守ろうとよかれと思ってやったことでした。
しかし、弟が自力で、人間として社会人として働こうという可能性、その芽を摘んでしまうことになってしまいました。
弟が『生き長らえる』ことはできるようになりましたが、弟自身が自分の人生を『生きる』道が閉ざされてしまいました。
その頃から、弟が逃避行を始めるようになりました。
夜な夜な繁華街をウロウロするようになり、ヤクザ屋さんや警察のお世話になることも頻繁に出てきました。
父親、母親の言う事を聞かなくなりました。
これは、弟のために良い状況ではないと私は思い、ヨガの先生に相談しました。
ヨガの先生は、「父親と母親が変わらないとダメだ。親を呼んでもらえないか。」と言われました。
そして母親と弟が、四国のヨガの先生を訪ねてきたのです。
そこから、さらに色々な出来事が起こります。
そして、その先に、私が感動した佐藤学長との出会いにつながっていくのです。
次回に続きます。
ありがとうございました。
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