誰が名付けた『平成の絵師』大上克己

【似顔絵がつなげる心の懸け橋】
いつかはあなたの似顔絵が・・・

夢を追う (4月29日 2/2)

2013-04-29 23:46:07 | 日記

<075 元気さん>

はじめて彼と会ったのは二年前の東北大震災の直後だった
パーキンソン病友の会 広島県支部(患者とその家族を中心に結成された会)主催の
美術展示会の会場 鯉城会館で待ち合わせた
友の会前支部長のM氏から、若手の患者さんが友の会に居るから会ってみればと
進められた。

約束の日、約束の時間にギャラリーに行くと私の作品が展示してある前に彼は立っていた。
いい年をして今だ人見知りしてしまう私の胸中はいかに
しかし、お会いした瞬間私がイメージしていた彼とは全く違っていた
冒頭の似顔絵をもう一度ご覧ください。
こんな優しい瞳と笑顔で私を迎えて下さったのだ。


彼は私より7つ年下、病歴は私とほぼ同じ、
きちんとネクタイを締めそのスーツ姿の彼は、大手企業のサラリーマン幹部。
見た目にはさほど分からないが、ONとOFFの差が(薬の効いている時と効いていない状態をう)
激しく、その症状は歩行時に顕著となり転倒に繋がるそうだ
その危険な状況から回避するため杖を持っておられた。


  *ちなみに彼の歩行は“突進型”第一歩が出ににくく、一歩が出れば
   つま先でとっとっとっと意思に反して早足となる、厄介なのは止まろうとしても
   ブレーキが効かないので危険。
   またつま先が上がらずすくみ足となるため、少しの段差でもつま先がひっかかり
   転倒につながる。

   方や、私の歩行は“ピョンピョン型”香港映画で有名になったキョンシーのように
   ピョンピョンと跳ねるようなイメージ。
   健常時は、一歩踏み出せば踵(かかと)から着き、つま先で蹴ってまた一歩との繰り返しですが
   私の場合は、一歩出せば踵から足が着くのでなく、足の裏の平がベタっと着いてしまう
   ピョンピョン型と言うより“べたべた型”というのが当てはまっているかもしれない。
   職場で歩く時は踵から着くことを意識して歩いている。
   長い廊下を歩く時は、だらだらと歩かず、ファッションモデル風に歩く、
   後ろから見られても恥じないように。
   但し、薬が切れた時は両手を胸の前に垂らすと、キョンシーのようなピョンピョンと
   跳ねながら歩ける、キョンシーのようなスターにはなれないけれど。
   普通に歩くも意識しながら歩いても、足首のすね辺りにどちらも全体重がかかり痛む。


大変失礼な言い方になりますが、その優しい表情で迎えてくれた7歳年下の彼が杖を持っているさまは、
私にはとても異様にうつり、可哀そうにも思った。
何れ遅かれ早かれ、私にもそのレベルがやってくることでしょうが、想像はしたくなかった。
彼と彼の奥様は、共にパーキンソン病友の会 広島県支部の三役を担っておられ、
昨年の6月に開催された全国パーキンソン病友の会広島大会で本大会の執行部として、
また、若年患者の会、若年部会を全国の多くの仲間のリーダーとなり成功を収めた功労者である。

 

彼と彼の奥様と出逢って2年、
彼の存在は全国の多くの仲間に知れ渡り、支持も得た
誰しもが疑わうことのない友の会の次のリーダーとして担っていくべき彼の存在は
広島県支部の一員としても、友人としても心強い彼です。

 

その彼のパーキンソン病の症状が目に見えるほど進行した
何度か入院をし、薬の調整を始め、リハビリやOFF状態から緊急に脱出する
自己注射の方法も試みたという。
常に壁にぶち当たった面持ちで一日一日をすごされていることでしょう。
薬が切れた時の移動手段は
、とうとう車いすを使用しなくてはならない状況になった。
何度か電話で病状を伺った、
病状を聞けば私の方が胸が痛む
しかし彼から弱音をもらす言葉は一度もない
一つには京都大学の山中教授によるips細胞によるパーキンソン病の治療薬の光明。
二つ目には、皆さんへの感謝の気持を大切にされていること。
家族の存在
なかでもひまわりのような明るく元気な奥様は、彼の伴侶として幾多の困難を共に越えて
こられたことでしょう。


その奥様と彼が人生最後の夢を追うという
それは夫婦、二人組音楽ユニット「げんきなこ」として始動し始めた。

出会い時、あの杖姿を、異様に思い可哀そうと思ったことが
とても恥ずかしく申し訳ない気持ちで涙があふれた。

 

続きは明日に





緊急告知! (4月29日 1/2)

2013-04-29 02:39:15 | 日記

<248 イベントスタッフ2>

広島県廿日市市周辺の皆さまへ
私が入会しています「全国パーキンソン病友の会 広島県支部」の幹事さんご夫婦が
FMはつかいちの番組に生出演されます。

FMはつかいち  (FM 76.1MHz)
平成25年4月29日(月) 午後6時30分より
番組名⇒「地元でがんばるjin」
出演  ⇒「元気」さん
      「きなこ」さん  
内容  ⇒元気さんときなこさんはご夫婦です。
      ご夫婦で歌作りに励む
     
     奥様のきなこさんが、作詞作曲ボーカルを担当
     そしてご主人の元気さんがアレンジと映像を担当する
     某Kレコード会社からCDデビューの話しもちらほら

     元気さんがP病の患者さんで きなこさんが作った曲を
     アレンジすることを人生の糧とする。

     詳しくは後日に

 


寒風の中

2013-04-26 23:48:25 | 日記

<247 イベントスタッフさん>

第26回 全国菓子大博覧会:広島
「ひろしま菓子博2013」が、広島市の中心地で開催されている
その場所とは、我が愛する広島カープが長年本拠地として使用していた
広島市民球場(初代)の跡地である。
ホームベースから外野フェンスまでが他球場に比べ、ダントツの近距離は
投手泣かせの球場でもあった。


その広島カープ球団は貧乏球団としても有名
8.6 廃墟と化したあのヒロシマ、
60~70年先、草木の芽を見ることは無いと言われてた、
しかし翌年、暑い暑いヒロシマに、広島の花「夾竹桃(きょうちくとう)」が咲いた
空中で炸裂した原子爆弾をもろに浴びたというのに。
町も人々の心も復興というには程遠いなか産声をあげた広島カープ、
被爆を受けた4年後のこと、
かくたる親会社を持たない“市民球団”
それは広島市民・県民にとっての希望の星、
心の拠り所であったはず


弱小球団は選手に賃金を支払えない資金難球団、
お荷物球団は解散が噂された、そして噂は現実のことに
動いたのは初代監督の石本修一氏と球団スタッフ
そして何よりもこの修羅場を救ったのが
広島市民・県民がとった熱き行動、球場の入り口での球団存続を訴えたこと
後に伝説となる「樽募金」である。
球団を救う“うねり”は広島人の心を見事に捉えた
当時、解散回避のために必要な資金400万円を集めたというから
広島人にとっての球団の存続は、人生の糧の一つであったことが伺える
かくして広島カープ球団の復興は、広島の人々の手によって見事に再建された
だからカープは広島人にとっては我が子なんだ


その我が子は、この土地で熱い戦いを繰り広げてきた
立ち直ったもののBクラスが定位置の我がカープ
昭和50年、ルーツによって燃えたぎる赤を基調したヘルメット
すっかり定着した「赤ヘル」という呼び名の快進撃は
もう言うまでもなかろう


焦土化したこの熱き土地で、
熱い戦いを繰り広げてきたカープ
その同じ土地に新屋まりさんが立った
広島菓子博のイベント
新屋まりコンサートである
屋外のステージ、夕方6時からのステージは
砂が舞い上がるくらいの冷たい風が吹き荒れるという
最悪の環境のなか
被爆二世であることを口外したうえで
ヒロシマとフクシマに熱いメッセージを盛り込んだ歌を披露した


フクシマを一日でも早く“福島”と呼べるよう
新屋まりさんのメッセージは熱く伝わってきた。


パソコン無知、露呈!

2013-04-20 23:48:14 | 日記

<246 Y様>

ブログを更新した翌日より、自分のブログの編集ログインができなくなる
何やら赤文字で表示、hdi9f8hhwhhhw////.....
何のことかさっぱり分からない

何とかせねばとつついてはみるが、
ヘタをするとブログを失ってしまうこともありうる。
「やめとけ!」
私のパソコンレベルはこの程度。
触らないことが先決。

今夜 あるグループの花見に参加した
桜の花びら一枚も残っていない
そのうえ外は冷たい雨
花見と称し集まってワイワイガヤガヤがいいのだ
アルコールがダメな私ではあるが、雰囲気は好き
そんな3時間を過ごした

そのメンバーにパソコン通がいる
2日前にインターネット自体が立ちあがらず
その夜11時前に見てもらったばかり
なんでこの時間に?
ははは、その日は別グループで簡単な打ち上げ
開始が10時だからいたしかない
そして今夜へと続く

何やらごちゃごちゃキーをたたいていたら
正常に戻った
彼曰く u932ffyo2fe8hhwwejw997だから
iiwr8r8waaa8rにしておいた
分かったように返事を返したが
意味不明、
ほろ酔い気分で臨んでくれたパソコン点検
その部屋には暖房機器のない小部屋
すっかり冷めてしまったパソコン通の彼
さぞかで寒かったことでしょう
ありがとうございました
お礼は「似顔絵で」


冒頭の246Y様は、今年の元旦にパソコンを見て下さった
写真、図を表示してくれないので年賀状が作成できず
困っていることを知った娘が知り合いを紹介してくれた。
元旦であり失礼とは思いながらも連絡してみると
気軽に足を運んで下さった。
ラッキーなのは、元旦と言えども家電の店は開いている。
Y様は必要なパーツを購入し、正常に戻してくださった。
お礼はいつもの如く似顔絵で・・・。

う~ん、出来は今一つといったところか
今度お持ちしますので

 <新屋まりコンサート情報>
菓子博、大好きな菓子ではありますが、菓子博は全然興味はなかった。
まさか新屋まりさんがイベントに出演するなんて思いもせず。
夕方6時からの出演です
まだ間に合いますので、どうぞお越しやす。

2013.4.21(日)
ひろしま菓子博2013 ステージ出演

場所 つどいのステージ
時間 18:00〜18:25
入場料 無料


最近の事情、身体能力

2013-04-14 16:02:43 | 日記

<245 NHK広島 秦記者>

創作活動が今一つピリッとしない今日この頃、
せっかくの日曜日だというのに時間ばかりが早足で駆け抜けていく
描くなら描く!
描かないのなら体を動かせ!
自分自身に課した努力目標は、
仕事が休みになる度、ことごとく破ってしまう有様
これって人間性の問題?


まだまだ弱いかな、図々しく生きてきた私にも一人前に悩みを抱えている
数々ある悩みの中からひとつひも解いてみるならば
やはり厄介病を抱えたこの先の不安です。


最近の出来事、朝食後の薬の服用を2回忘れたことがある
この薬は治療治癒目的の薬ではなく、
一時的ではあるが「手足のふるえ」を抑える薬である。

服用を忘れたその日、マイカー通勤途中の運転に違和感を感じた
その時は薬の飲み忘れとは気づいていない
だが段々と時間の経過とともに動きが緩慢になり、前傾姿勢をとると
体全体の震えが著しくなり、また次々と襲ってくる奇怪な現象
遅かりし薬の服用忘れを自覚したのはこの時点。


慌てて薬を服用すること3時間遅れ
奇怪な症状はすぐには治まってはくれないが
精神的にはやや安堵といったところか。


気になっていることがもう一つある。
歩行能力と歩き方である
職場でのデスクワークや、在宅で絵描き等、長時間イスに座った後
立ちあがった瞬間、
歩ける? という不安がよぎるようになってきた
また歩きかたに関しては
薬が切れてくると、前方にピョンピョンと飛ぶような格好
分かりやすくイメージしていただくならば
何年か前に、香港映画で人気者になったキョンシー
あのキョンシーは確か飛び歩いていましたよね、
お分かりいただけますでしょうが、
私自信は、はっきりとした自覚症状がありますが

人様の目には普通にしか見えないらしい
症状がこれ以上に進展しないことを願うばかりである。


ちょっと憂鬱になってきた
精神的に憂鬱状態のなかから生まれた作品は
昨年の12月、NTTクレドで開催しました似顔絵展示会に向け
報道して下さったNHKの秦記者さん
その節は大変お世話になりました
展示会初日、昼のニュースで展示会の模様を放送して下さったのを始め
夕方の「お好みワイド」では特集を組んでくださった。
その特集は、次の朝の中国5県向けのニュースで放映、
更には、早朝ではあるが「おはよう日本」で2度にも渡る全国放送までも・・・
その甲斐あって沢山のお客様に似顔絵をみていただきました。
重ねてありがとうございました。
お礼にと似顔絵の約束をしていましたが、ようやく完成いたしました
納期半年と決めて掛かっていましたが、私にとっては早い方
良かった良かった

満面の笑顔は癒し系、
笑顔をもってのインタビューは緊張感をほぐしてくださり
とても助かりました
秦記者の今後 益々のご活躍を“ハタ”からではありますが祈念申しあげます