誰が名付けた『平成の絵師』大上克己

【似顔絵がつなげる心の懸け橋】
いつかはあなたの似顔絵が・・・

36年目に、日の目を浴びた“機関誌よつば”

2013-06-30 17:12:22 | 日記

<266 機関誌よつば創刊号より>

昨夜は久々に笑った、
気を許した
幹事が上手いこと乗せる
「今もっともな有名人」
とマイクを私に預けた
その乗りに乗ってしまえ

同級生に
長年胸につっかえていることがある
明かすチャンス!
いやお詫びのチャンスだ
けじめをつけておきたい
還暦を迎えるまでには・・・。

笑えることじゃないけれど
つい緩んだ表情で語ってしまった
○○○(ここの内容は勘弁ね)

胸のつかえがとれた
話せて良かった
笑って聞き流してくれたやつも
ジョークで切り返してくれたやつもいる
暖かく受け入れてくれた面々
田舎の60の同級生達

 

小中学の9年間もの長きに渡って学びやを共にした顔と顔
中には卒業して初めて合わす顔もいる
60という意識は殆どなかったが
容姿の衰えはお互いに隠しきれないところもある
でも私の目に焼きつく皆の表情は素敵だ
社会に揉まれ鍛えあげられ、家庭を持ち守り
それぞれの進み歩んだ路を年輪として重ね合わせている
いい表情だ。


人生の糧となった私の似顔絵
今のクラスの仲間の表情を
残しておかねばとまたもそそってしまう。
皆んなと約束をした、
クラス仲間を一枚の絵に仕上げることを
(ハードルが高いぞ)

 

山口県の下関に住居を構えている雅文と久しぶりに会う
彼のスピーチから懐かしい話しを聞き思いだした。
21~22歳のころ、クラスの幹事を隆則から引き継いだころ
クラスの機関誌「よつば」を不定期に発行することにした。
男性は仕事中心に、女性はぼちぼち嫁ぐ年齢となり、
彼ら、彼女らと自由に会って時間を過ごすことが減ってきた
クラスの情報がタイムリーに入ってこなくなったことも重なり
クラスの「絆」を重んじる私の勝手な思いつきでの発行だった


そのことを地元を離れた雅文が「嬉しかった」と紹介してくれた
すっかり忘れてしまってた
もう一人の女性も機関紙の話題があり、クラス会に持ってくるはずだったとか、


こんなにデカイ機関紙、奥の扇風機と比べてみて


今朝から必死に機関紙を探しまくりました。
ありましたよ。
原本とコピーがちゃんと閉まってありました
36年前に発行した創刊号には、何やら似顔絵らしきものを描いている。
そして編集後記にはこんなことも

     共に学んだあの日、あの時
     今はそれぞれ違う道
     
     並んで歩いていた友が
     だんだん遠ざかっていくような
     淋しい気さえする
     
     あんなに団結していた私達なのに・・・。
     今からでは遅いだろうか?
     小さくてもいい、
     何かつながりを感じていたい
     
     そんな気持ちをこめこの機関紙を作りました。
     これを足掛かりに
     機関紙「よつば」がいつまでも続きますよう
     次回から皆さんの投稿をお願いします。


若いころからワンパターンと内容の詰めの甘さ
今と全く同じレベル
成長していないね

今日もこんな中途半端の内容でお終い。
ボツボツと田舎少年少女の話題を
この機関紙と共にお伝えしていきます。
この度の幹事さんお疲れさまでした。

明日から7月
最終日曜日は、私も還暦を迎えます。
家族と・・・って言う話しは残念ながらなさそうだ
なんせ子ども達は県外にバラバラ状況
当日は地元のお寺さんで
「子どもの集い」の行事を開催します。
昨年に引き続いてですが
似顔絵教室を開催します。
詳しくは後日


祝 還暦クラス会

2013-06-29 15:41:37 | 日記

<265 どこかのおじさん>

今日は珍しく土曜日なのに公休日
普段はパートさんが土曜日に休めるように優遇しているが、
今日は私の都合で休みを取らさせて頂いた。
なんの都合だろうか、

小学1年生から 中学3年生の9年間を、共に学び過ごした同級生のクラス会である。
それも“還暦”という人生大きな節目の会でもある。
前回は3年前の3月6日だったのを良く覚えている。
と言うのも、その1週間後に、似顔絵師として人生初めての似顔絵展示会という
機会を頂いたことだから。
その場で同級生に展示会の案内をさせていただき、大変多くの同級生がお祝いに
かけつけてくれた。
嬉しかった。
3年越しではあるが、同級生にお礼を申し上げたい。

ありがとう

さあ本日の還暦クラス会、何が待っているかとても楽しみである
皆な 会場で久しぶりに会おうや

<265 どこかのおじさん>

上に話しにでました初の展示会のきっかけを与えていただいた
オートガーデン大野の大野会長の友人であられる

 


大切にして下さってありがとう

2013-06-24 23:36:15 | 日記

<264(040)  K良一様>

大切にして下さってありがとう

通夜席

斎場の真ん中の通路、一人静かに前進する

正面には

お集まりになられましたご遺族親族様

これまで親交のあられた皆さまを お持て成ししてるかのように

ニコヤカな笑顔で迎えているK様

お焼香の台の寸前で一旦立ち止まり

右手、ご遺族親族席に一礼

喪主長男さん

隣に座ってておられるお母様

その隣には長男さんの奥様

喪主様から奥様まで目が順に合った

その瞬間のこと

奥様が『飾ってるんよ』と声に出ない口元が開いた

ニコッと私の表情が緩んだ

 

3年前にでもなろうか、
某テレビ局が取材をして下さったおり
利用されているお方を描いてほしいとの要請があった
(利用されているお方とは、デイサービス利用者様のこと)
私が本格的に描き始めた頃からのテーマ
「笑顔!」
躊躇することなく浮かんだのがあの男性
「K良一様」
いつも満面な笑顔を振りまいておられる
それは対男性であろうとも 分けへだつことも無く
頬がこぼれ落ちそうなくらい 
いやもったいないぐらいな笑顔でいつも接してくださった
「いつもありがとうございます」とご挨拶すれば
『礼を言うのは私の方だ』といつもいつも感謝のお言葉が返ってきた
身なりを決して崩すこともなく とても紳士であられた
晩年は、転倒骨折で入院生活を余儀なくされ
退院後は奇跡の回復、歩行器を杖変わりにすれば
歩ける状態までに・・・
そんなK様に突如襲った病魔
くも膜下出血!
一週間が山とドクターの所見に誰もが覚悟した
その日からいうもの、
ゆうに3か月以上K様と家族様は 病魔と闘った

 

通夜の前日長女様からメールが入った
“大上さんに描いてもらった似顔絵、斎場に持っていきます
お父さんの笑顔、皆さんにみていただきたくて・・・。”


 

柩から離れること1m

その似顔絵は飾ってあった

なぜか淋しさはなく、うれしさが先行してしまった

生前のK様もご家族様も喜んで下さったお父様の似顔絵

大切にして下さったことに感謝したい

喪主長男さんのご挨拶が始まった

旧国鉄に入社し定年後は民間の会社から声が掛かり

76歳までサラリーマン生活、

仕事の虫だったそうな

長男さん、祭壇の方を振り向きざまにこうおっしゃいました

『こんなに笑顔をもった父でした』

こみ上げてきた

            大切にして下さってありがとう

            K良一様、安らかにお眠りください

                            合掌

                                大上克己


リクエストに応えて

2013-06-18 20:26:49 | 日記

<263 若き頃の雑記帳より>

262で紹介しました若き頃に描いた絵
作品ではなく、コピー用紙の裏に落書きしたものですが、
私のブログの常連訪問者の方からリクエストの電話が入りました。
『まだあるのなら、見せてほしい』

こりゃあ応えるしかない、でもまともな絵が残っていないのが残念
この雑記帳(コピーした裏紙)に描いていたものが存在してること事態が奇跡

若いパパとママ
お子さんの描いた作品は大切に保存してあげてくださいね。
我が家には幼いころ描いた絵は残念ながら1枚も残っていません。
残っているならば見てみたいな。
あってみたかったな50年前に描いた私の絵
残念、残念


気分なおし

小学3年生のとき図工の時間に描いた絵が、子ども新聞(中国新聞)に金賞として掲載された
物ごころついた頃から子どもなりに吃音に悩んでいた
音読がまったくできなかった私は、
大人になったら
「絵描き屋さんになる」と早くも決め込んだ
そう理由は簡単、「喋らなくてもいい」というだけの単純な発想だが、
それはそれは真剣そのものだった。

小学校3年生の担任の先生は、“藤原みゆき”先生
若くて綺麗でとても熱血な先生だった
児童と共に学び遊び、悪いことをすると必ず体罰を科す
反面がある、子どもなりの悩みには先生はとことん付き合い話しを聞いて下さった
共に先生も泣く、オーバーではない本当にそんな先生だった・・・。

金賞になった絵はどことなく覚えている
確か、童話の一場面
人間か動物かは定かでないが、空白が多かった構図だけははっきり覚えている
藤原先生に褒めてもらいたいがために、その後も一所懸命に描いた
しかし1年ぽっきりに先生は転校された。

藤原先生への淡い恋心
転校という波に流されてしまったが、
あれから50年経った今日、未だに描いている絵

ジャンルはどうであれ藤原先生が教えてくれた絵、原点はそこにある
それは決して忘れない、忘れてはいけない
あれから50年、
今の私の人生に欠かすことのできない絵を描き、楽しむこと
そのうえに喜んで観て下さる人がおられるならばなお嬉しい
あとは自分の体に問え
努力は惜しむな

今月の29日はクラス会、
あの3年生のクラスの仲間と久々に会う
気になる藤原みゆき先生の消息。
来月私は還暦、60となる

◎唯一若い時に描いている写真がありました
全てセルフタイマー撮影です。
ご覧あれ

よく頼まれて描いていた、描く気満々

描き始めたら、姉が子どもをみてくれと頼まれる。
長男と二女、2人とも家庭持ち、子どもが2人、3人いる立派なお父さんとお母さんに。

レタリング修了、名前のレタリングが面倒だった、一休み

大きなテーブルが無くこのようにして描いたものだ。

振り向く余裕もあるが、セルフタイマーなり

もう少しで仕上がり、40年前もカメラを見ればピースなり!

出来上がり、新婦の鼻・口が写ってないのが残念。  

結婚式、披露宴の会場に掲げました。「描いたぞー」っていう雄叫びポーズ。

 


<263 若き頃の雑記帳より>
262の絵と同じく会社の遠足でのワンシーン
中央にチェック柄のシャツを着ているのが私のつもり
まだ頭髪フサフサ
その右側に顔半分の男性は、現在 廿日市市の市議会議員
私とは同期入社である。

 

 

 

 

 

 


ブログの更新できず、ごめんなさい。

2013-06-17 01:37:09 | 日記

<262 若き頃の雑記帳より>

どなたにも誰しにもあるのかな
体のキレ、頭のカイテンの悪さ無さ
仕事に対する姿勢の欠如やプライベート面の低落
バイオリズムが非常に悪い
梅雨の季節からかな
空梅雨といえども、この時期は体には堪える
パーキンソン病を呈した患者さん、
もろもろの自立神経失調症があるなか
私の特徴はハンパじゃない

<その一>  便秘
     いろんな方からアドバイスや、試してほしいと“モノ”を下さる
     一時期効き目が見られるも、何故か元のサヤに納まってしまう
     原因はだいたい分かっている   食事に問題
     女性がいない我が家の精にしたくはないが
     食するものはほぼワンパターン
     父が野菜を作るもこれが意外と食べない
     肉が嫌いな菜食主義なのに

<その二>  発汗
     私の発汗はハンパじゃない
     どこであろうと、どんな場面であろうと、汗をかきまくる
     それは時期なんて全く関係ない
     職場が最もひどいかな
     高齢であるデイサービスの利用者さんや職員
     この梅雨時期、暑いと連呼されても誰ひとり汗を出していない
     そのなかでひとりポタポタと落とすほどの量
     お陰でハンカチは一日でビッショリ
     かいた汗の分、水分補給ができているかといえば
     これまたほど遠い


ノリが悪い今時期
この程度の私のブログの内容ではあるが
それでも数十名の皆さんが毎日我がブログを訪問して下さっている
それに答えねばと思うも気が一向になく働いてくれない
勿論似顔絵作成にも多大な影響を及ぼしている。


もう昨日となるが、
《父の日》
その父は朝早くからボランテア活動で広島市内へ
帰宅後は、即畑仕事に従事
私は、暑い暑いと文句を言いながら
一日絵描きに徹した

その父の日、照れが先行し、世話をかけている父への
感謝、ねぎらいの言葉すらとうとうかけずじまい
一日遅れではあるが、
父への気持ちをここに捧げたい


   「お父さん いつもありがとう」
   今の私には
   ありきたりの言葉にしか表現できないけど
   本当に感謝しています。
   絵を描くことに一番理解し、その環境を作ってくれいるにも関わらず
   なかなか期待に応えないバカ息子です。
   いつも「無理をするな」とお父さんに言っていますが、
   無理をしながら頑張ってくれているので、
   今日があり明日がやってきているんですね。
   早く父に楽にさせてあげねばと思いつつ
   逆に世話をやかせてばかり
   申し訳ない。

   絵でもって“メシ”が喰えるならそうでありたい
   しかし現実はそう甘くないことは百も承知しています
   でも もう少し夢を追い求めさせて下さい
   開花しない花かもしれませんがもう少しだけ。
   毎朝 私が出勤時に交わす言葉
   「無理すんなよ」
   お父さん、本当に無理をなされないように、健康に気をつけて下さい。

 

<262 若きころの雑記帳より>
高校を卒業し、入社した会社の遠足の一コマより
某会社のトレース課の面々
高校の担任が製図が上手いのでトレース課に入れとその会社を勧めてくれた
入社したものの配属は残念ながら別の職場でした。
あの当時はペン画が多かったのかな
色付けハンパ、背景はいいかげんで未完成ですが
顔はよく似ていると思う。
この絵は既に41年経過しているけど、
この絵を見ると当時のメンバーを思いだす。
左上の女性の方、ごめんなさい、悪ふさぎしていますね
41年前のことだから許してください。
左下の部長さん、ワンカップを飲んでいますが、
名前が思い出せません・・・。

安い給料だったので、
いやケチだったので画用紙に描いたものでなく
青焼き(コピー用紙みたいなもの)の裏に描いていました。

 <新屋まりコンサート情報>
新屋まりが昨年に引き続き、東北大震災の被災地
岩手県にまいります。

2013.6.22(土)
にいや&遊水 心の復興ライブー笑っていこう!

場所 嘉宝荘(岩手県大船渡市三陸町越喜来)
時間 夕刻からエンドレス?

参加は嘉宝荘のおかみさんまで

 2013.6.23(日)
新屋まり復興支援コンサート

 場所 龍昌寺(岩手県大船渡市三陸町越喜来)
時間 10:00〜法要 10:30〜御堂コンサート
入場料 喜捨