3連休は実家に帰ってきました。
実家までは車でも3時間ほどかかるので、2連休以上休みが取れないとなかなか帰れません。
実家には70代の両親が住んでいます。
ブラック企業勤めの間は休みがなかったので一度も帰れず、祖父母の法事もずっと出ていません。
さらに昨年父が、一昨年母が入院した時も有給はもちろん通常の休みももらえませんでした。
本当は、今年の年末まで退職せずにがんばろうと決めていましたが、辞める決心がついたのは、父の入院がきっかけでした。心配だったので1日休みをもらって父のお見舞いに行きたいと社長に伝えました。その時社長からは「そんなに休みたければ臨時休業して行けばいい。でも年寄りなんだからもう仕方ない。」と言われました。「俺なんて父親はもうとっくに亡くなっているから何とも思わない」とも言っていました。
「このままここにいたら、親の死に目にも会えないかもしれない」
これが、私が退職を決意した瞬間でした。
幸い父は1か月で退院し、まだ通院はしているものの仕事も細々と続けています。
私は一人っ子です。
実家を離れたのは大学生の時。それ以来両親と一緒に暮らしていませんが、両親との仲はとても円満です。
今の私の住まいは一人暮らしではありますが、いつでも両親が泊まれるように、また万一何かがあれば一緒に暮らせるように、2LDKのアパートに普段は一人で住んでいます。古い物件なので家賃は格安で、1ルームマンションと数千円しか違わないので、家賃は割り切っています。
もちろん両親はこんな多額の借金があるなんて夢にも思っていないでしょう。
私が大学生の時、父親が心筋梗塞で長期間入院をしていました。
父は小さな会社を経営していましたが、以前から赤字続きで、私を大学に活かせる余裕は全くなかったそうです。それでも無理をして私立に通わせてもらい、仕送りもしてくれました。
父の入院をきっかけに、今なら奨学金がもらえるかもしれないからと言われ、大学の奨学金と日本育英会(当時)の奨学金を借りることになりました。
大学の奨学金で授業料を支払い、日本育英会は毎月の生活費に充てていました。毎月5万円くらいだったかと思います。もちろんそれだけでは生活できないので、引き続き仕送りはもらい、アルバイトもしていました。
卒業後、日本育英会は自分で返済することになり、大学からの奨学金は父が返済してくれました。
私が社会人になった頃から事業を縮小して父親一人で自営するようになり、なんとか黒字になったそうです。
65歳の年金受給時に父は仕事をたたみ、のんびり老後を送ろうとしましたが、すぐにまた再開しました。何かしら働いていないとだめだったようです(^^;
私は結婚しなかったので両親に孫の顔も見せてあげられない上、こんなにも借金を作ってしまって本当に親不孝ものだと思います。
40歳過ぎるとさすがにうるさかった母も「もう結婚は望まないから、元気でいてくれればそれでいいから。」と言いはじめ、ますます借金のことは隠し通さないといけないと肝に銘じました。
今でもお正月にはお年玉、たまに会えばお小遣いをくれる両親。
私も昔は見栄を張って、借金があるくせに、「ボーナスもらったから2人でおいしいものでも食べて」とご祝儀袋に数万円包んで渡したりしていました。
両親は喜んでいたけれど、実は私は苦しかったです。でも両親の手前見栄を張らずにいられませんでした。
以前も今も、借金を抱えていることは絶対に打ち明けることはできません。
もし打ち明けたらおそらく私の借金を払ってくれるでしょう。でも、今までの私がすべて嘘の姿だったとわかれば、私を怒るよりは自分たちを責めると思います。
親孝行もできていないのに親不孝ばかりしたくないので、私は自力で返済を続けます。
ただ、ブラック企業に勤めていたことは包み隠さず話しているので、今は貯金を使い果たしている状態なので、これからまた一から貯めていくと嘘をついています。
早くこの嘘が本当になるように努力します。