西村博夫さん(52歳)が初めてパラグライダーで空を飛んだのは、39歳のときだった。それからすぐにパワードパラグライダースクールに入り、卒業すると「オノダスカイスクール」を開設した。
そのときの会員数は150人で、空前の大成功と評判を呼んだ。4年後にはそのスクールを閉鎖して、パワードパラグライダーで災害地等を撮影する(有)空撮ジャパンを開設、現在に至っている。
彼のモットーは「後ろを振り返らない。前進あるのみ」。新しいテーマが見つかると、力いっぱいぶつかっていく。そのパワーは他に追随を許さない。
注:パラグライダーは簡単にいうとパラシュートを発展させたもので、薄い布と細い紐でできている。動力を持たないため上昇気流を捕まえなければ高く上がれないが、上昇気流にのると1000m以上上昇したり、3時間以上飛んだり、10km以上移動したりする。
パワードパラグライダーは、パラグライダーにエンジンをつけたもので、エンジンでプロペラを回転させ自由自在に空中を飛行する。上空でエンジンを止めるとパラグライダーと同じように滑走飛行できる。
詳細⇒http://www.epocaclub.com/
<一言メモ>
西村さんがパワードパラグライダーの道に入ったのは、ある挫折がきっかけだった。
35歳になったとき妻と離婚、最愛の2人の娘(小学生)は妻の方で養育することになった。そのときまったく予想していなかったことが起きた。事情あって子どもたちと会えなくなったのである。これは子煩悩な彼の心をずたずたに裂いた。
彼は会社を辞め故郷の山口に帰ったが、傷心のためひきこもり状態になった。4年ばかり過ぎたある日、気分転換に沖縄に出かけた。
そこで彼の運命を左右する人と出会った。その人の名前は仲里裕和さん、通称「ひげのおじさん」と呼ばれていた。
仲里さんはパワードパラグライダー歴13年の日本チャンピオンで、人間性も豊かな人だった。西村さんはさっそく、パワードパラグライダー入門を申し出た。
※残念なことに仲里裕和さんはこのときから10年後(55歳)、白血病で亡くなった。
その後の西村さんは、持ち前のバイタリティでパワードパラグライダーの道を突き進み、成果を着々と出していく。
ある日、成長した娘さんが彼の許を訪れた。彼はどんなに嬉しかったことか。10年ぶりの再会だった。今では娘さんは2人とも結婚し幸せに暮らしているという。
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