1948年以来、ミャンマー政府軍とカレン族など少数民族との間に紛争が続き、さらにはミャンマー国内で人権侵害が起きている
ため、1984年よりミャンマー難民がタイに流入し始めた。
タイ国内には現在、ミャンマーとの国境近くに9つの難民キャンプ(難民約16万人)がある。そのうち2つのキャンプをD社(株
式会社第一ビルサービス)の新入社員グループが訪問した。
●訪問期間
2012年11月20日(火)~11月24日(金)5日間
●訪問場所
メラキャンプ
ウンピアムマイキャンプ
●訪問メンバー
大段壮史 三浦智洋 藤川幸成 大下晴香
杉川綾(オブザーバー)
※(株)第一ビルサービスでは、コミュニケーション力、人間性、社会性の向上を図るため、1995年以降、毎年、新入社員自らが研
修内容を企画する体験研修を実施している。
詳細⇒http://www.epocaclub.com/
<訪問の概要>
新入社員の藤川幸成さんと大段壮史さんにインタビューし、訪問の状況を語ってもらった。その要点は次のとおり。
●最初、不安はありませんでしたか。
「難民キャンプの近くには地雷が埋められているとか、ミャンマー軍の攻撃がときおりあるとかといった情報があり、すごく不安でし
た。タイの武装をした兵士がキャンプの入り口で警備をしているのを見たときはこわかったですね」
「難民キャンプを紹介してもらったボランティア団体からは、入口の近くでは写真を撮ってはいけないとか、目立った行動は慎むよう
にとかいった注意をされたので緊張しました」
「訪問しているうちに不安は次第に解消しました」
●キャンプの様子は?
「ごみがそこらじゅうに散乱し、強烈な臭いを放っていました。食べ物には何十匹というハエがたかっているし、皿は洗われているの
にぬるぬるしていました。
●食事は美味しかったですか。
「二つに分かれたんです。3人は美味しい、1人はまずいです」
●民家を訪問しましたか。
「民家は屋根を木の葉で葺いてある家ですが、入るときれいに片づけられていました。お父さん、お母さん、2人の小さな女の子の4
人家族でした。衝撃を受けたのは、お父さんが『職がない。ボランティアの支援で生活している。娘たちの将来を考えると、暗い気持
ちになる』と言われたことでした。
●どんな施設を訪問されましたか。
「最初に保育園に行きました。子どもは0歳から5歳で40人くらい、先生は3人でした。日本から持ってきた絵本やお絵かきセット
などを寄贈しました。子どもたちがミャンマーの歌を合唱し踊りを見せてくれました。お返しに、ぼくたちは、チューリップを歌いま
した」
「次に行ったのは小学校。先生が第三国定住していくので、若い先生ばかりになり授業の質が落ちていると、校長先生は嘆いていまし
た。生徒に将来何になりたいかと聞くと、女の子は看護師、男の子はサッカー選手、兵士と答える子が多かったです」
「高校生はみんな明るいし一生懸命勉強しています。それにもかかわらず高校を卒業しても仕事がないんですね。ただ卒業を待ってい
るだけなんです」
「職業訓練学校は生徒が留守でした。溶接や美容、裁縫など、いろいろな施設が揃っており、訓練は半年で終了するとのこと。先生の
嘆きは、せっかく身に着けた技術を使う場がないということでした」
●子どもたちとの交流はどんなことをされましたか。
「絵本の読み聞かせやお絵かき、似顔絵描き、紙芝居、縄跳び、シャボン玉遊びなどです。楽しかったです。あっという間に時間が過ぎま
した」
「シャボン玉遊びを始めたとき、最初集まったのは20人くらいだったのですが、どんどん増えて60人くらいになりました。そのため用
意していたシャボン玉が足りなくなり、急きょ予備に持っていたものを使いました」
「縄跳びも人気がありましたね。普通の縄跳びはみんな知っていてできるのですが、二段跳びやあやとりは知らないものですから、みんな
挑戦し盛り上がりました。終わると、シャボン玉や縄跳びの道具は寄付しました」
●今回の難民キャンプを訪問して、とくに印象に残ったことは?
「キャンプの人たちを見たとき、われわれはなんと恵まれた世界で生きているのだろうと思いました。キャンプの人たちや子どもたちは未
来に対して不安を感じながらも、笑みを絶やさず生きています。素晴らしいと思いました。この感動を忘れないで生かしていきたいと思い
ます」
「展望のない現状にありながら、高校生は夢を語ってくれました。その姿は美しいと思いました。それにひきかえ、ほくには現在夢があり
ません。なんとかしなければいけないと思いました」
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