広島の人・エポカわ~るど編集日記

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広島カープの捕手として活躍した水沼四郎さん/鉄板焼きラウンジ「しろう」

2013年03月04日 19時51分02秒 | 日記
 
 1968年、ドラフト2位で広島東洋カープに入団。打つ方は非力だったが、キャッチャーとしての能力が高く、ノーサインでも捕
れるキャッチングの上手さ、冷静かつ大胆なリードなどで次第に頭角を現し、チームの要として活躍した。
 1975年の初優勝時も投手陣を支え、1979年11月4日の近鉄バファローズとの日本シリーズ第7戦、いわゆる「江夏の21
球」の際も、捕手として江夏をリードした。
 1983年、中日ドラゴンズへ移籍し同年引退。1984年から2年間中日の二軍バッテリーコーチを務め、その後、読売テレビ・
広島テレビで解説者を務めた。
 プロ野球から引退後は、東広島市でお好み焼き店「しろう」を経営。昨年広島市にそのロケーションを移してからは、鉄板焼きラウ
ンジ「しろう」を経営している。
 

詳細⇒http://www.epocaclub.com/

<一言メモ>
 
 水沼さんのカープ捕手時代のエピソードを尋ねると、
「キャッチャーのテクニックは、捕球術やリードだけではありません。いかにバッターの気を散らせるかも重要なんです。私の場合は、
野球とは関係のないことばかりささやいていました。
 巨人戦のときでした。土井正三選手が怒りだして、バッターボックスをはずし、
『四郎、うるさい!!』。
 そのとき球審は面白がって、もっとやれと私の尻をつま先でつつくんです」

「もう一つの最大のエピソードは、1979年の日本シリーズ第7戦で江夏の21球をリードしたときのことです」
※この話は長いのでここでは省略します。HPをご覧ください。

 プロ野球引退後の最大のアクシデントは、二度にわたる脳梗塞である。そのときの様子を彼は次のように語る。

「2007年5月24日の夜11時ごろ、仕事の後片付けをしていたら急に右手に力が入らなくなり、続いて右足も動かなくなったん
です。妻が救急車を呼び、私は病院に担ぎ込まれました。
 翌日、脳梗塞と宣告され、元通りの体になるのは無理だと言われました。そのときは絶望しましたね。それから必死にリハビリに取
り組みました。その結果、奇跡的に普通の生活ができるようになったんです。
 ところが、その翌年の11月に再発しました。このときも幸いなことにリハビリの結果、体が回復しました」

 現在は、東広島市のお好み焼き店を閉鎖し、広島市で、鉄板焼きラウンジ「しろう」を開店、「食べて、飲んで、野球中継を見て、
楽しめる店」をモットーに経営している。
 彼は次のように語る。
「私は広島の地に来て、ファンの皆様に育ててもらいました。最後のご奉公と、鉄板焼きラウンジ『しろう』でがんばっています。皆
様のお越しを心からお待ちしています」

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