メタボおやじの糖分日記

旅と酒をこよなく愛するメタボ親父の糖分ライフ。

世界遺産の旅 PART3

2009年07月10日 | 中国


最初の世界遺産は、北京市の中心から西北へ15km離れた頣和園(YiHeYuan)だ。

ここは18世紀はじめに当時の清朝が、「三山五園」と呼ばれる、暢春園、円明園、万寿山清漪園、玉泉山静明園、香山静宜園という5つの御苑をつくった。
頣和園はそのひとつ、 万寿山清漪園が前身。

1860年、第二次アヘン戦争によりこの庭園は荒廃してしまうが、後の皇帝・咸豊帝の貴妃であった西太后が政権をにぎり、海軍学堂建設を名目にひそかに修復。さらに光緒帝の名で造営工事をはじめ 、頣和園と改めた。
名称の由来は「頣養衝和」(養いはぐくみ、おだやかにする)と言われている。




西太后は、中国の歴史に残るまれに見る悪女である。

国費を私物化するのはもちろんのこと、咸豊帝の寵愛を受けた麗妃の手足を切断し、瓶に入れて生かしておいたという史実もある。

そんな恐ろしい女性が造ったとは思えぬほど、頣和園は壮大で優雅な美しい庭園だった。




湖の周囲は、このような廊下があり、別荘までの道のりを優雅に演出している。

主だった箇所をご紹介しましょう。
まず、 東宮門を入ると正面に「仁寿殿」がある。ここは西太后と光緒帝が政務をとり、臣下や外国使節を謁見する場所。
室内中央には立派な玉座が残っているが、これは皇帝のものではなく西太后が座っていた場所で、光緒帝はその隣の質素な場所に座らされていたそうだ。

その「仁寿殿」の北西にあたる昆明湖の岸辺に、西太后が住まいとしていた「楽寿堂」がある。
ここを出ると、「昆明湖」沿いに700メートルも続く「長廊」があり(写真)、その梁欄には杭州の西湖の風景など1万4000枚の極彩色の絵が描かれている。

西太后はよくこの廊下を早足で散歩したそうだ。

西太后はどんな人物だったのか。この廊下を歩きながら、歴史の彼方に消えた悪女の姿を思い浮かべていた。




後方に見えるのが、頤和園の代表建築物である仏香閣。
ここから、頤和園全体の景色が、眺めることができる。



The Summer Palace - Beijing China



北京に来たら、ぜひ訪れたい世界遺産の1つである。






続きは後ほど。




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2 コメント

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Unknown (まさみつ)
2009-07-10 11:19:36
キレイな写真ですね

西太后については浅田次郎氏の『蒼穹の昴』及び『中原の虹』をぜひ。西太后が陰の主人公的存在として非常に興味深く描かれております。
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Unknown (オジさん)
2009-07-10 14:53:56
まさみつクン>

ボクは大学で東洋史を専攻していました。
西太后も愛新覚羅溥儀も、卒論のテーマのなかの登場人物です。
そんなこともあって、今回の旅はひとしおでした
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