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スペースファンタジー小説「EP列伝」の著者が、日常のとりとめもない話題を書くブログです。

考える場所

2007-01-17 23:07:55 | 自分のこと
休日の朝、遅く目覚めた私は起きる前ふと考えた。
考えている場所自体はどこなのだろう?
当然考えるのは頭であるが、実際これまで意識したことはなかった。
目を閉じどこで考えているのか確かめてみる。
頭全体か頭の中央か微妙だが、やはり頭で考えているのは間違いない。
「あいうえお」
意味がない言葉の羅列を無意識に思ってみる。
繰り返してみたが、場所の特定までは出来なかった。

私は脳の専門家ではないのでよく解らないが、
そもそも考え出す起点はどこから始まるのだろう?

確かに情報や五感、欲求から関連づけられる場合はわかるが、
それ以外に、何もない時ふと思うことや直感はどこからくるのだろうか。

コンピュータのCPUは脳に相当するとよく言われている。
ただこの場合、人が目的となるものをインプットしたり、
ある規則に沿って忠実に実行しているに過ぎず、
将来は一頃騒がれたAIが進歩して完全独立型マシンも開発されるかもしれないが、
現時点では限られた範囲でしかない。

そう考えると生命の脳はきわめて精密であり、進歩する可能性を秘めている。

話は元に戻るが、思いつきなどはこれまでの経験が神経細胞を流れる
電流の通り方によって出てくるのであろうか。

ここで肉体的には説明はつくかもしれないが、精神=心は脳だけで説明できるのか
私は疑問を持っている。

例えば、環境といった外的要因による影響もあるとは思うが、
同じように育った兄弟でも全然性格が違うように脳だけではない何か、
つまり魂のような存在があると私は勝手に思っている。

これは私の希望的観測であり横暴だが理論的なことは無視し、
これまで生きてきた中で培った考えであり、別に否定されても構わない。
ただ私自身の思いであり、新しい学説が出ても変えようとは思わない。

輪廻転生の中で生まれるとき純真無垢にリセットされ、
長い年月をかけ人格を形成し人生のなかで徳を積み、
再び宇宙へと還る。

かつて、狼に育てられた少年がいた。
結局は完全に人の社会には適応できなかったといわれている。
人が人として生きるため必要な土壌は愛情や社会、環境などによりつくられる。

どこまで心を豊かに出来るか判断基準は人それぞれで曖昧である。
逆に心はどんな方向にも向くことが出来る。

魂と受け皿である脳のリンク、磨けば磨くほど強固なものとなり
無限の可能性があると信じている。

脳~ウィキペディア


注)ここまで広げるつもりはなかったが、昨今の事件や腐敗した官公庁・企業を
  みるにつけ、行き過ぎた政教分離の弊害があるのではと思い、
  またそれが、怪しげな新興宗教の土壌をつくったのではと思い
  つい書いてしまった。

「一言」
休みの朝に困ったことを考えたもんだ(汗)。