この期間、DIHSの治療以外に、脳外科の外来で三叉神経痛の診察を受けたりした。
また、ずっと安静にしていたせいで体力筋力が落ちていたので、少しづつ体を動かし退院に向けての準備をした。
病棟内の図書室に本を借りに行ったり、病棟は回廊式になっているのでトイレに行ったときにぐるっと回ってくるとか、1Fまでコーヒーやヨーグルトを買いに行くとか(笑)
【7月6日(火)入院16日目】
午前、全身の写真撮影。午後、教授回診、脳外科外来。
参議院議員選挙の不在者投票。(入院患者は事前に申請すれば病院で不在者投票できる。)
母と同年代のおばさまが一人退院。かわりに80歳のおばあさん入室。相変わらず私は一番若手(笑)
【7月7日(水)入院17日目】
今朝からソフト食から軟飯軟菜食に切り替え。
薬(アレビアチン)が効いたのか、漬物をポリポリ噛んでも痛くなかった。前は飲めなかった牛乳も、ストローで飲めた。
ようやくシャワー解禁。午前中に浴びた。とても気持ち良かった。
ただ午後の検温で微熱(37.1度)が出て腹痛もあったので、午後から念のため安静にする。
10時過ぎ、隣のベットに60代のおばさん入室。その家族が夕方までいてうるさかった~。病室なんだから静かにして欲しいんだけど。
【7月8日(木)入院18日目】
血液・尿検査結果、順調。明日からプレドニンを25mg→22.5mgに減量。
次の検査(12日)も順調であれば、その週末に退院できそうとのこと。
昨日のおばさんが、80歳のおばあさんと四六時中病気自慢のおしゃべりでうるさい。静かに休めないせいか、血圧が140を超え動悸がする。
こういうストレスは治療の妨げになるし三叉神経痛に良くないからとナースが注意してくれても、おばさんパワーに太刀打ちできず。
おばさん「あたし、声が大きくてごめんなさいねー」 わかってるなら改めよ!つーか、談話室に行ってほしいんだけど。
母と同年代の前からいるおばさまが、さりげなく「おしゃべりは談話室に行ったら」と言ってくれたけど、これまた全く効き目なし。
それどころか、明日手術のおばさまに向かって「ICU出たあと個室入るんでしょ?個室って幽霊でるわよ、私見たの、怖いわー」と話してたのでびっくり。なんという無神経。つーか、アンタのほうが怖いわ!
新参者の二人はかなり手強い(涙)
【7月9日(金)入院19日目】
今日からプレドニン22.5mgのはずなのに、処方された薬を見ると入院当初の30mgになっていた。C医師のうっかりミス。
ここだけのハナシだが、C医師のうっかり具合はナースの間でも知られているらしい(おぃおぃ)これから“うっかり先生”と呼ぶよ?
うっかり先生C医師から、薬剤によるリンパ球刺激試験の結果、テグレトール陽性の結果が出たことを知らされる。これによりテグレトールのDIHSと判明。
母と同年代のおばさま、手術のため転室。私が一番の古株になってしまった。
【7月10日(土)入院20日目】
アレビアチンが効いているとは思うのだが、新参者二人組みのストレスのせいか、歩くとピキッと三叉神経の痛みが走るようになってしまった。
夕食時から消灯時間まで(4時間)、新参者二人組みは占いとか宗教のお話で盛り上がっていた。お祓いで病気が治るなら、ここに来ないでくれません?
【7月11日(日)入院21日目】
今朝また、拍動のリズムで顎のあたりに三叉神経の痛みがある。アレビアチンの効きが悪いのか、部屋のストレスのせいなのか。薬の量は、増やすのは怖いので100mg/日のまま。
プレドニンの副作用として、精神的に不安定になることがあるらしいのだが、それも三叉神経痛に影響しているのだろうか。
手洗いのしすぎ?手荒れしてきたので尿素入りハンドクリームを塗るが、あまり効果なし。
3日ほど前から、日中の体温が37度を越えることがしばしばある。日中活動すると体温は上がるので、夜に下がれば良しとのこと。
新参者組の80歳のおばあさん退院。少しは静かになるだろうか。
【7月12日(月)入院22日目】
血液・尿検査、順調。発疹も特に変わりなく、かゆみも全くない。プレドニンは22.5mgのままだが、予定どおり17日退院決まる。
新しく30代の人が2人(若手組)入室、一番若手のポストを明け渡す(笑)
アレビアチンのDIHSの不安について、C医師に尋ねる。
今アレビアチンを100mg/日飲んでいるのだが、この量でも起こるのか。
以下、C医師の回答。
副作用が起こるのは、一日に飲む量ではなく、飲む頻度による。
アレビアチン(抗原)を飲んでいるうちに免疫応答の結果として抗体ができて、ふたたびアレビアチン(抗原)を飲むとアレルギー反応をおこす。(このように、ある抗原に対しアレルギー反応が起こることを“感作する”という)
抗体ができるかどうかは、飲んでみないとわからない。よって、
発熱
リンパの腫れ
倦怠感
が現れたら、(アレビアチンに限らず)すぐに病院に来ること。
【7月13日(火)入院23日目】
午前、脳外科再診。
アレビアチンが効いているようなので、このままの量で処方を続け、様子を見る。
退院後は定期的に外来で。DIHSを心配するので、血液検査をしながら処方してもらうことに。
痛みがなければ飲まなくてもよい。自分でコントロールすること。
三叉神経痛の手術を執刀する医師の外来が金曜日にあるので、退院前にいちど手術についての話を聞いてみるのも良いだろうということで予約。
午後、全身の写真撮影と教授回診。
A医師に、薬を飲む前に感作するかどうか調べられないか尋ねたが、今の医療技術では調べられないとのこと。やはり飲みながら気をつけるしかない。
【7月14日(水)入院24日目】
患者情報センターで、薬の副作用について調べた。(プレドニン、アレビアチン、アレロック、ジルテック)
若手組のうちの1人と入れ代わりに94歳のおばあさん入室。ここに入院して94歳にお目にかかるの、二人目ですけど!自分が94歳まで生きていたとして、手術するだろうかとしみじみ考えてしまった。
日本の医療の進歩と高齢化、凄過ぎ。
【7月15日(木)入院25日目】
血液・尿検査、順調。γ-GTP値のみ高いが、時間がかかるとのこと。
退院後について。
しばらくは週1回通院。血液・尿検査を行ったのち診察、プレドニンの量をコントロール。
普通の生活で良いが、体力が落ちているので、無理しないように慣らしていくこと。
発疹の色素沈着部分は、普通に洗って良い。時間はかかるが必ず消える。紫外線に当てないよう注意すること。
手洗いとうがい、人混みを避けるなど、これまでどおり。
薬の処方は、皮膚科からプレドニンとタケプロンの2種類。脳外科からアレビアチン。
薬剤部より、プレドニンの副作用についてまとめたプリントをいただく。
アレビアチンについても気になるので、お願いした。
新参者組のうるさかったおばさんも退院。午後には次の人が入室。どんどん入れ替わっていく。一ヶ月も入院しているというのは長いほう。
A医師が「何で入院してるの?って思うよね。(薬飲んで寝てるだけなので) でも、仕方ないんだよ、我慢してね。」と何度も励ましてくれたわけで。
上げ膳据え膳、三食昼寝付き高級ホテル並みの暮らしもあと二日。
【7月16日(金)入院26日目】
C医師の朝の回診。特に変わりなし。退院を待つだけ。
17時50分、ようやく脳外科で三叉神経痛の手術を執刀するE医師の診察。E医師は非常に多くの患者を抱えているようで、大変忙しい様子。
(診察内容については、後日別の記事としてupする)
病室から見える噴水のある池に、時々サギがやってくる。
この風景も見納め。
足のお手入れ中だったのね。
【7月17日(土)入院27日目】
退院の日の朝。いつにもまして早く目が覚めた。5時前だよ(苦笑)
このリストバンドとも、今日でお別れ。
27日間の入院は、とても長かった
入院するにしてもこんなはずじゃなかったという思いが最初の頃には強くあって、精神的に不安定だったため、医師や看護師長に感情的になって自分のまとまらない気持ちを訴えたこともあった。
日がたつにつれ落ち着いてきて、病室に出入りする他の人の話を聞いて色々なことを考えたりもした。
人生には何が起こるかわからない。これもいい経験になったと言えるだろうか。
私の入院を支えてくれた医療スタッフには心から感謝。そして家族、友人の励ましも、本当にありがとう。
やっと家に帰れる幸せ。(命を落としていたら帰れなかったんだもんね)
私の退院に合わせたように、梅雨が明けて猛暑というのはどうかと思うが(汗)
さて発疹はというと、手の甲は、ぱっと見た目には色素沈着はわからないほど綺麗になっている。むくんだ感じもなくなった。
6月の発疹の様子 ↑ だんだん皺っぽくなってきているのはスルーするべし。
体幹部分はまだ幅広く色素沈着しているけれど、最初の酷い状態を思えばどうということはない。人様に見られるところでもないし。
退院処方の薬がなかなかあがってこないので、最上階のレストランで昼食をとった。
14階からの眺めは病室からとはやっぱり違う。
こういうのが食べたかった1ヶ月(笑)
家に着いたのは結局15時近く。
私が突然いなくなって寂しい思いをした猫が、どういう反応をするだろうかとても心配だった。
声をかけたけど、最初は「え???」という感じ。次第に状況がわかったのか、グルグル喉を鳴らして寄り添って離れない。その後1週間以上、私の行くところ片時も離れずついてまわったのだった。(トイレの中まで 汗)
寂しかったね、ごめんねと言って抱っこして撫ぜて、滂沱の涙の私。猫馬鹿丸出し。
やっぱり家はいいわね~と思ったかというと、実はなんだか自分の家がしっくりこないというか……。
入院する前(6月始め、リンパ腺が腫れた頃)、ほとんど倒れそうになりながらも季節の模様替えをしたりしていたのだが、そうしたことの実感がないまま1ヶ月という月日がたったので、戻ってきて、あれ?家ってこんな風だっけ?と思ったのが正直なところ。
さらにその後、夜中に目を覚まして病棟と勘違いしたのが数回ではすまなかったのだから、1ヶ月というのはやはり長かったのだ。
また、ずっと安静にしていたせいで体力筋力が落ちていたので、少しづつ体を動かし退院に向けての準備をした。
病棟内の図書室に本を借りに行ったり、病棟は回廊式になっているのでトイレに行ったときにぐるっと回ってくるとか、1Fまでコーヒーやヨーグルトを買いに行くとか(笑)
【7月6日(火)入院16日目】
午前、全身の写真撮影。午後、教授回診、脳外科外来。
参議院議員選挙の不在者投票。(入院患者は事前に申請すれば病院で不在者投票できる。)
母と同年代のおばさまが一人退院。かわりに80歳のおばあさん入室。相変わらず私は一番若手(笑)
【7月7日(水)入院17日目】
今朝からソフト食から軟飯軟菜食に切り替え。
薬(アレビアチン)が効いたのか、漬物をポリポリ噛んでも痛くなかった。前は飲めなかった牛乳も、ストローで飲めた。
ようやくシャワー解禁。午前中に浴びた。とても気持ち良かった。
ただ午後の検温で微熱(37.1度)が出て腹痛もあったので、午後から念のため安静にする。
10時過ぎ、隣のベットに60代のおばさん入室。その家族が夕方までいてうるさかった~。病室なんだから静かにして欲しいんだけど。
【7月8日(木)入院18日目】
血液・尿検査結果、順調。明日からプレドニンを25mg→22.5mgに減量。
次の検査(12日)も順調であれば、その週末に退院できそうとのこと。
昨日のおばさんが、80歳のおばあさんと四六時中病気自慢のおしゃべりでうるさい。静かに休めないせいか、血圧が140を超え動悸がする。
こういうストレスは治療の妨げになるし三叉神経痛に良くないからとナースが注意してくれても、おばさんパワーに太刀打ちできず。
おばさん「あたし、声が大きくてごめんなさいねー」 わかってるなら改めよ!つーか、談話室に行ってほしいんだけど。
母と同年代の前からいるおばさまが、さりげなく「おしゃべりは談話室に行ったら」と言ってくれたけど、これまた全く効き目なし。
それどころか、明日手術のおばさまに向かって「ICU出たあと個室入るんでしょ?個室って幽霊でるわよ、私見たの、怖いわー」と話してたのでびっくり。なんという無神経。つーか、アンタのほうが怖いわ!
新参者の二人はかなり手強い(涙)
【7月9日(金)入院19日目】
今日からプレドニン22.5mgのはずなのに、処方された薬を見ると入院当初の30mgになっていた。C医師のうっかりミス。
ここだけのハナシだが、C医師のうっかり具合はナースの間でも知られているらしい(おぃおぃ)これから“うっかり先生”と呼ぶよ?
母と同年代のおばさま、手術のため転室。私が一番の古株になってしまった。
【7月10日(土)入院20日目】
アレビアチンが効いているとは思うのだが、新参者二人組みのストレスのせいか、歩くとピキッと三叉神経の痛みが走るようになってしまった。
夕食時から消灯時間まで(4時間)、新参者二人組みは占いとか宗教のお話で盛り上がっていた。お祓いで病気が治るなら、ここに来ないでくれません?
【7月11日(日)入院21日目】
今朝また、拍動のリズムで顎のあたりに三叉神経の痛みがある。アレビアチンの効きが悪いのか、部屋のストレスのせいなのか。薬の量は、増やすのは怖いので100mg/日のまま。
プレドニンの副作用として、精神的に不安定になることがあるらしいのだが、それも三叉神経痛に影響しているのだろうか。
手洗いのしすぎ?手荒れしてきたので尿素入りハンドクリームを塗るが、あまり効果なし。
3日ほど前から、日中の体温が37度を越えることがしばしばある。日中活動すると体温は上がるので、夜に下がれば良しとのこと。
新参者組の80歳のおばあさん退院。少しは静かになるだろうか。
【7月12日(月)入院22日目】
血液・尿検査、順調。発疹も特に変わりなく、かゆみも全くない。プレドニンは22.5mgのままだが、予定どおり17日退院決まる。
新しく30代の人が2人(若手組)入室、一番若手のポストを明け渡す(笑)
アレビアチンのDIHSの不安について、C医師に尋ねる。
今アレビアチンを100mg/日飲んでいるのだが、この量でも起こるのか。
以下、C医師の回答。
副作用が起こるのは、一日に飲む量ではなく、飲む頻度による。
アレビアチン(抗原)を飲んでいるうちに免疫応答の結果として抗体ができて、ふたたびアレビアチン(抗原)を飲むとアレルギー反応をおこす。(このように、ある抗原に対しアレルギー反応が起こることを“感作する”という)
抗体ができるかどうかは、飲んでみないとわからない。よって、
発熱
リンパの腫れ
倦怠感
が現れたら、(アレビアチンに限らず)すぐに病院に来ること。
【7月13日(火)入院23日目】
午前、脳外科再診。
アレビアチンが効いているようなので、このままの量で処方を続け、様子を見る。
退院後は定期的に外来で。DIHSを心配するので、血液検査をしながら処方してもらうことに。
痛みがなければ飲まなくてもよい。自分でコントロールすること。
三叉神経痛の手術を執刀する医師の外来が金曜日にあるので、退院前にいちど手術についての話を聞いてみるのも良いだろうということで予約。
午後、全身の写真撮影と教授回診。
A医師に、薬を飲む前に感作するかどうか調べられないか尋ねたが、今の医療技術では調べられないとのこと。やはり飲みながら気をつけるしかない。
【7月14日(水)入院24日目】
患者情報センターで、薬の副作用について調べた。(プレドニン、アレビアチン、アレロック、ジルテック)
若手組のうちの1人と入れ代わりに94歳のおばあさん入室。ここに入院して94歳にお目にかかるの、二人目ですけど!自分が94歳まで生きていたとして、手術するだろうかとしみじみ考えてしまった。
日本の医療の進歩と高齢化、凄過ぎ。
【7月15日(木)入院25日目】
血液・尿検査、順調。γ-GTP値のみ高いが、時間がかかるとのこと。
退院後について。
しばらくは週1回通院。血液・尿検査を行ったのち診察、プレドニンの量をコントロール。
普通の生活で良いが、体力が落ちているので、無理しないように慣らしていくこと。
発疹の色素沈着部分は、普通に洗って良い。時間はかかるが必ず消える。紫外線に当てないよう注意すること。
手洗いとうがい、人混みを避けるなど、これまでどおり。
薬の処方は、皮膚科からプレドニンとタケプロンの2種類。脳外科からアレビアチン。
薬剤部より、プレドニンの副作用についてまとめたプリントをいただく。
アレビアチンについても気になるので、お願いした。
新参者組のうるさかったおばさんも退院。午後には次の人が入室。どんどん入れ替わっていく。一ヶ月も入院しているというのは長いほう。
A医師が「何で入院してるの?って思うよね。(薬飲んで寝てるだけなので) でも、仕方ないんだよ、我慢してね。」と何度も励ましてくれたわけで。
上げ膳据え膳、三食昼寝付き高級ホテル並みの暮らしもあと二日。
【7月16日(金)入院26日目】
C医師の朝の回診。特に変わりなし。退院を待つだけ。
17時50分、ようやく脳外科で三叉神経痛の手術を執刀するE医師の診察。E医師は非常に多くの患者を抱えているようで、大変忙しい様子。
(診察内容については、後日別の記事としてupする)
病室から見える噴水のある池に、時々サギがやってくる。
この風景も見納め。
足のお手入れ中だったのね。
【7月17日(土)入院27日目】
退院の日の朝。いつにもまして早く目が覚めた。5時前だよ(苦笑)
このリストバンドとも、今日でお別れ。
27日間の入院は、とても長かった
入院するにしてもこんなはずじゃなかったという思いが最初の頃には強くあって、精神的に不安定だったため、医師や看護師長に感情的になって自分のまとまらない気持ちを訴えたこともあった。
日がたつにつれ落ち着いてきて、病室に出入りする他の人の話を聞いて色々なことを考えたりもした。
人生には何が起こるかわからない。これもいい経験になったと言えるだろうか。
私の入院を支えてくれた医療スタッフには心から感謝。そして家族、友人の励ましも、本当にありがとう。
やっと家に帰れる幸せ。(命を落としていたら帰れなかったんだもんね)
私の退院に合わせたように、梅雨が明けて猛暑というのはどうかと思うが(汗)
さて発疹はというと、手の甲は、ぱっと見た目には色素沈着はわからないほど綺麗になっている。むくんだ感じもなくなった。
6月の発疹の様子 ↑ だんだん皺っぽくなってきているのはスルーするべし。
体幹部分はまだ幅広く色素沈着しているけれど、最初の酷い状態を思えばどうということはない。人様に見られるところでもないし。
退院処方の薬がなかなかあがってこないので、最上階のレストランで昼食をとった。
14階からの眺めは病室からとはやっぱり違う。
こういうのが食べたかった1ヶ月(笑)
家に着いたのは結局15時近く。
私が突然いなくなって寂しい思いをした猫が、どういう反応をするだろうかとても心配だった。
声をかけたけど、最初は「え???」という感じ。次第に状況がわかったのか、グルグル喉を鳴らして寄り添って離れない。その後1週間以上、私の行くところ片時も離れずついてまわったのだった。(トイレの中まで 汗)
寂しかったね、ごめんねと言って抱っこして撫ぜて、滂沱の涙の私。猫馬鹿丸出し。
やっぱり家はいいわね~と思ったかというと、実はなんだか自分の家がしっくりこないというか……。
入院する前(6月始め、リンパ腺が腫れた頃)、ほとんど倒れそうになりながらも季節の模様替えをしたりしていたのだが、そうしたことの実感がないまま1ヶ月という月日がたったので、戻ってきて、あれ?家ってこんな風だっけ?と思ったのが正直なところ。
さらにその後、夜中に目を覚まして病棟と勘違いしたのが数回ではすまなかったのだから、1ヶ月というのはやはり長かったのだ。
>あまりふざけたコメしずらいので残してませんが(汗)
>ずっと読んでますよー。
つっ込みづらくてスミマセン<(_ _)>
大した内容ではないので、斜め読みの練習にでもしてください。
>幸か不幸か私自身は入院経験がないので
ああいう高級ホテル(?)は滞在しないほうが吉ですから。
>相部屋の当たり外れはやっぱあるんだなぁと思ったり(笑)
色んな人がいるのはわかってるつもりでしたけど、24時間一緒だと、思った以上に色々とねぇ(苦笑)
思わず笑っちゃうようなネタが落ちてることがあったりもしたんですけど、それ聞きたいですか?(笑)
◆ミズリンさん
>入院生活を思い出しました
あわわ・・・嫌なこと思い出されてなきゃいいんですけど(汗)
>1~2週間の入院を月に一度の割合で4回しましたが、「ここにいると、他の病気をしてしまいそう!」と思いました。
長いこと居ると、収容所に入れられてる気分にもなるんですけど(汗)、入退院を繰り返すのも大変でしょうね。
私の場合、入院当初の精神不安のことを思うと、かえって長期のほうが肝が据わるというか、
今頑張れば、という前向きな気持ちになれたのかもしれないと思います。
身体がつらいことより(もうそれは主治医にまかせるしかないので)、
精神的なことのほうがキツイかもしれないですよね。
>「早く寿司が食べたい~」
私の場合、「もっと肉を!(牛・豚希望) byゲーテ」
>行動の制限があって、病室から出られなかったのはつらかったです。
ワタクシ、入院2日目に相方とドトールでコーヒー飲んでたのがバレたのか、
翌日速攻主治医がやってきて制限されました(汗)
>完全にムーンフェイスになっていましたね。
あー、やっぱりそうなんですね。
>でも今度は食欲が出て太り初めて・・・。
やっぱりやっぱり?!
>でもステロイド離脱したら、体重も徐々に戻りますよ。
>(私が言っても説得力がイマイチですが。汗)
ええ、にわかには信じがたいですぅ。しかも徐々にって。
食べすぎで太ったのが戻るのなら、今までのダイエットは何だったのかと…。
>でも・・・ちょっとスケベでねぇ(汗)
あはは。
私も主治医には感謝していますが、
C医師だけでなくA医師もうっかりさんだったことが先日の外来で露呈しました(汗)
(A医師とC医師は親分子分の関係、そんなことまで真似しなくていいんです)
>それがなければ完璧なのになぁと思う今日この頃です。
まったく同感。
入院生活はストレスがたまりますから。
私は1~2週間の入院を月に一度の割合で4回しましたが、「ここにいると、他の病気をしてしまいそう!」と思いました。
食べ物も贅沢言ってはいけないと思いつつ、
「早く寿司が食べたい~」なんて思っていました。
私の場合、食べ物の制限はなかったのですが、
行動の制限があって、病室から出られなかったのはつらかったです。
ステロイドの副作用、
私はあまり実感していなかったのですが、
その当時の写真を見ると顔がパンパン(汗)完全にムーンフェイスになっていましたね。
病気で食べられなくて痩せているのに、顔だけがバンバンで、変な感じでした。
でも今度は食欲が出て太り初めて・・・。
でもステロイド離脱したら、体重も徐々に戻りますよ。
(私が言っても説得力がイマイチですが。汗)
病気をしてから現在まで、お世話になっている主治医には感謝感謝です。
でも・・・ちょっとスケベでねぇ(汗)
それがなければ完璧なのになぁと思う今日この頃です。
ずっと読んでますよー。
幸か不幸か私自身は入院経験がないので入院中の様子は
興味深く読ませてもらってます。
オデ嫁が検査入院したときに病室を替えてもらったことがあるので、
相部屋の当たり外れはやっぱあるんだなぁと思ったり(笑)