25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

今日一日

2019年08月02日 | 日記
 BBQをしようと張り切っていたが、暑さに負けて取り止めとなった。代わりにエアコンかけて鉄板焼きとした。この鉄板焼きの場合はぼくが料理番担当となる。
 まずはニンニクをスライスにして車海老を焼く。塩を多目に、白ワインで煮るごとく、さらに裏返してまた塩をかける。
 これだけである。レモンをかけて海老をムキムキしながら食べる。海老のエキスが油といっしょにたまっているので、キャベツを炒める。これが実に旨い。ミソと殻の味がキャベツに染み入っている。
 それを食べ終わると、牛肉のステーキ。ぉれもニンニクスライスを敷いて焼く。肉汁がえる。塩胡椒、赤ワイン。これをたべるともやしだけを肉汁で炒めて食べる。
 はじめから終わりまでで、スパークリングワインい本とビール6缶。四人で。

 テレビはどこも熱中症の注意。犬の熱中症まで報じていた。犬は50度のアスファルトでは肉球を火傷させるらしい。そういうこと考えたこともなかった。
 一か月民泊の掃除、草刈りが続く。熱中症に気をつけてとは思うが、テレビでの解説のように、チビチビとやや冷たい水を飲んでおれない。つまりやってられない。喉が渇いたら麦茶飲んで、ヒーヒー渇いたらコーラでも飲んでスカッとしてやり過ごすしかない。
 今夜はせがれと相談して懐かしい若山富三郎の「シルクハットの大親分」を観ることになっている。藤純子「緋牡丹博徒」のスピンオフ作品のようである。なにも考えることもなく、ワハハと笑って過ごす。

眺める

2019年08月01日 | 日記
親は子供ができれば子供の面倒を見て、休日であっても子供に付き合ってあげる。その子供もわずか18年で選挙投票できる歳になり、いわばあっという間である。そういう推移を高見からジジババは見ていくことになる。そしてふと我が身を案じる。いくつまで生きられるもだろう。親は子供から解放されてようやく自分のしたかったことができる。まだこの頃の親は40代だろうから人生の天辺にいるようなものだ。自分の死について切迫はしていない。

 ところで日本で家族内の殺人が増えている。子供の自殺もある。子殺し、親殺し、一家心中つまり皆殺し。この不快な出来事は、母親妊娠期かた授乳期に〈こころが安心しているか〉によることで、安心をもたらすのは夫の愛情であったり、夫の経済力。周囲の人(ジジババも含む)安心感への協力さえあれば、子供の心を守る壁は厚く、高く成長するものだと思う。壁が厚く、高く作られないと心の病気になりやすいとぼくは考えている。
 親、特に母親の事情はいろいろである。そのいろいろ分の人生がある。完璧な子育てなどあるはずもない。母として、父としての失敗もある。だがしかし、親の不安、虐待、無視は甘やかせ、過干渉、過保護より質が悪い。

 ちょうど東京のせがれが夏休みできた日から、天気は夏になり、暑くなった。当面雨もなさそうだ。今日からせがれの嫁さんも加わり、我が家は狭くるしく、暑くなる。ぼくは居場所がなく、なんだか落ち着かず、一人でマックにいく。

 アプリ制作はちゃくちゃくとすすんでいる。開発を始めて五か月めに入る。