25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

若い人たち

2019年06月23日 | 社会・経済・政治
 情報のアンテナが少なくなっている。今頃の原宿はどうなっているにか、渋谷から何か生まれつつあるのか。どんな雑誌が流行り、どんな漫画が読まれているのか、どんな風なことを考え、思っているのかわからない。ぼくが知る限りの10代、20代は優しく笑顔もよく、そしてよく働く。

 現在25歳の青年にアプリ制作を依頼している。プログラミングを22年前、アメリカのマイクロソフトのウィンドウズ95開発のチームの一員で、開発を終え、ゆったりしている30代の男性に依頼したことがある。その費用の高かったこと、できることがそれほど多くはなかったことを考えれば、この世界は格段に進歩していることだろう。ぼくが、こうこうこういう風にしたいけど、できる? と訊くと、少し考えて「できます」と答える。どんどん質問していくが、できる、できない、できるかもしれない、ヒントがあれば、とはっきり言う。

 ぼくが億の単位でやった開発は当時陽の目をみなかったが、今、アプリという形になって生まれ変わろうとしている。
 この青年が開発できる。タブレット、スマホでとても便利な語学やカラオケの効率もよい練習ができるようになる。当然、教材の開発もできるし、ラジオやテレビからボイスレコーダーで録音し、その音源を使うこともできる。
 22年間、どこもぼくの考えていたことまで到達していなかった。業界の力のなさを知った。
 アプリの世界は今や販売方法も確立している。

 あの時、電々公社が民営化されNTTになろうとしていたとき、公社が示したインフラが整うまで遥かな年月の遠さを思ったものだ。20年先、30年先はぼくにはあまりにも遠かった。
 それが今、5Gという世界に突入しようとしている。
 25歳の青年と2日前に幾つかの確認をした。不安がぼくの方にあった。100%できる、8月末までにできる、ということだった。
 朝6時に起き、歩き、朝食を作り、9時から仕事にかかる。6時には終わる。
 自分をコントロールできている。ぼくは年の差を感じることはなかったが、プログラミングの知識以外はまだ知識不足であるが、経験を積めば、理解力さえあれば、身についていく。
 ぼくには頼もしく思えるのだ。