25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

わが母校

2019年06月12日 | 社会・経済・政治
 地元新聞の投稿コラムによると、ぼくの母校である県立尾鷲高校は県下6校中評価ランキングが69位だそうで筆者は嘆き、愚痴を書いていた。読む側は何の評価なのか具体的にわからないし、調査根拠も書いてなく、嘆くだけでどうすればよいのか提案もなかった。筆者は元予備校講師と書いてある。
 ぼくの頃は尾鷲高校と尾鷲工業高校があり、選択肢とすれば尾鷲高校しかなかった。とても他所の学校にいくということは考えられないことで、尾鷲幼稚園、尾鷲小学校、尾鷲中学校、尾鷲高校というコースは当然の進むべきコースであった。で、ぼくは普通科に進んだ。まあ、高校時代は勉強しなかった。試験前にちょこちょことやるくらいで授業中はよそ事ばかり妄想していた。授業の教室ほど気分の悪い空間はなかった。
 朝はよく遅刻をしたし、ときどさぼって中村山なんかに行ったものだ。音楽仲間の同級生の友人がひとつ年下の女子高生と失踪した。(その彼と去年偶然熊野古道センターで会ったのだった)
 ようするに、尾鷲高校は寛大で、うるさくなくのびのびとして、なんとなく勉強せずとも卒業できたのだった。
 学力レベルは低いかもしれないが、高校と言えばそこしか知らないので、よい学校だったと思っている。勉強というには叩き込まれておぼ、励むということもあるだろうが、いずれ必要に迫られてするものでもある。社会に生きていたら勉強を余儀なくされるものだ。
 普通科も定員割れしているようだ。そばに中学3年生の女子2人がいたので、訊いてみた。来年は尾鷲高校に行くとという。それは当然のようだった。
 本当は高校生のときは受験でガリ勉などしなくてよいのだ。日本の制度が悪いのである。大学はいつでも勉強したい学生を受け入れればいいのだ。そのための受験資格チャンスを年に4回くらい用意すればいいのだ。教育は下層部から変革していくより、大学、その上の企業から変えていくいがスムースなのだ。新卒採用、バカバカしい。東大一直線、バカバカしい。ぼくはそう思っている。