25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

刑事フォイルから

2019年06月04日 | テレビ
 NHKがイギリスのテレビドラマである「刑事フォイル」をやっている。前々回は「エルサレム」というタイトルだった。第二次世界大戦後のイギリスは疲弊しきっている。特にドイツから空襲を受けたロンドンでは売るものも、食べる物にも事欠くあり様で、戦勝国であっても、ひどいものだ。ソビエトが東欧に影響力を増していく。イギリスにもソビエトの活動員やスピアや、テロ組織も入ってくる。戦後になってもなおユダヤ人排斥まで起こってくる。ユダヤ人にはシオニズム運動があり、放浪の民から自国を持ちたいと願うようになる。

 イギリスは一方でパレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し、他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという、このイギリス政府の二重外交が、現在に至るまでのパレスチナ問題の遠因になったといわれる。このことには他の説もあり、他の解釈もあるが、ぼくは1973年にイギリスにいたとき、ほとんど無知であった。
 ぼくが入った語学学校にユダヤ人の大学生がアルバイトで講師としてやってきた。彼女はキャシーと言った。ぼくらはめちゃくちゃ気が合い、毎日が楽しみでしかたがなかった。彼女から「映画の見方を教えるわ」と言って、「2001年宇宙の旅」を見に行ったり、「007シリーズ」を見に行った。映画が佳境に入ったり、いいところがあると、ギュウと手を握ってくるのだった。1970年とか71年は日本では深刻な映画が多いように思えた。ぼくは娯楽映画は娯楽映画として十分楽しめばいいんだ、と思ったものだった。
 キャシーと舗道を歩きながら話しても、公園のベンチやカフェで話してもぼくは現在や未来、人間のこころのことしか話さず、キャシーの背景や家のことや、ユダヤ人であることなどについて話題にもしなかった。1973年と言えば、戦争が終わってからまだ28年である。フォイルの時代のすぐ近くである。反ユダヤ主義がドイツナチスと戦ったイギリスにもあった。なんとバカだったんだろう。僕の関心は自己にしか向かわず、キャシーに恋をしてもやはり自己にしか向かっていなかったように思う。
 先日、キャシーの住所が古いメモ帳から出てきたので、グーグルマップで検索してみた。キャシーが住んでいるのかどうかわからないが、家は昔のままにあった。キャシーの両親たち、キャシー当人はどのようにおもって戦後を生きてきたか、今だったら聞ける好奇心も、聞かない配慮もあると思う。その辺の機微はわかると思う。その住所あてに手紙を書いてみようかと思った。が止めた。
 イギリスはスエズ運河利権とイラクの石油に必死だったようだ。
 ぼくはイギリスの歴史より、母国日本の歴史をあまりにも知らないことを痛感していた。よくもキャシーは付き合ってくれたものだ。とてもつまらなかったのではないか。彼女はガルシ・マルケスの「百年の孤独」を読めと、持ってきて、ぼくは挑戦したのだが、とても系譜をたどっていくところですでに挫折していた。
 ユダヤの民の歴史は旧約聖書の神話にまでつながっていくほどに長い。キャシーがユダヤ教徒だったのか、強い信仰心があったのか、それもわからない。
 懐かしさではキャシーに会いたい。それでどうするというのだ。

 今のイギリスは覇権を捨て、より小さくなって、EUからも脱退しようとしている。トランプに来るなとデモも起こっている。イスラエルとイランの戦争が心配だ。