25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

群がる人間

2018年06月14日 | 文学 思想
 結局、新約聖書の作者たちは、神に代わって語るイエスをおき、その証拠に、彼は奇跡を起こし、病人を治し、死人を生き返らせ、預言をし、彼を信じる人々が大きな集団となって来たときに、磔の刑となって死ぬ、そして復活する。これが4つの福音書であり、あとは信者や教会への脅迫めいた激励となり、最後のヨハネの黙示録で、脅迫とイエスへの絶対性を不気味に残して終えるように構成を考えている。この作者たちの執筆の原典は旧約聖書であり、マタイも、ヨハネも旧約のある箇所をこっそり抜き出し、脚色を加えている。自分だけの想像力では及ばなかったのだろう。イエスの人物描写がマタイとヨハネではまったく違い、ヨハネは旧約をヒントに、マタイは人物像にはふれずやり過ごしている。
 神に代わる人間がいることが必要で、これはどんなところに行っても神に代わる人間が教祖となって現れるのと同じであるが、聖書の作者や編纂者は時をかけて整備していったのだろうと思える。

 概して宗教は生きるに困難な地域や時代に現れる。キリスト教もイスラム教も、もっとも苛酷な地域である。鎌倉時代の新興仏教の登場時も、飢饉が各地で起こっているが、まだ日本はキリスト教やイスラム教のような厳しい宗教を持たなかったのは自然環境や苛酷さがあったのを中東の地より穏やかだったからなのかと思う。
 旧約聖書を早く読み終えたい。それにしても熱烈な宗教団体であることよ。世界の果てにまでも布教するというミッションに生涯をかける信者たちがでてくる。
 人間は、サッカーで熱狂し、群衆ともなり、銭湯のグループ歌手純烈にも熱狂する。あそこのラーメンが美味しいと聞けば列に並んでさえも食べようとする。ポケモンが流行れば同じことをする人がたちまちに増える。
 大衆は一人一人が個人であるが、群れることも好む。権力に従順なときもあれば逆らうこともする。脳と脳は伝染しあって、共鳴する。肉や魚がただで食えるとなると群がり、喜ぶ。一向宗の門徒は団結して信長と闘った。
 群れて集団をつくる有利さ知ったホモ・サピエンスは始め、群れることの有利さを本能で知っていた。しかし、サピエンスが支配者になると、群れは複雑化した。平和でいるために、戦争をするようになり、同じサピエンスを支配下におくようにもした。これらの問題は現代になってもちっとも解決していない。情けないものよ。