25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

よもやま話

2018年06月19日 | 文学 思想
 図書館での「よもやま話」の講座テーマは「かぐや姫」だった。
 これをスマホの「青空文庫」で読んだ。それがきっかけとなった、今、ぼくは「聖書」を読んでいる。
 今日はもっと詳しく会員が話すのを聞きながら
かぐや姫は病気治す力をもっていた。また作者は大納言や中納言を小馬鹿にし、帝をもあしらっている。作者はこの「貴種流離譚」を本当はもっと展開できたはずだ。過激な反権力にならず、緩やかに貴族と帝を馬鹿にしている。しかも、知人である。帝に抵抗しながら月に逃げてしまう。しかも、帝に不死の薬をもらうことになっている、
多分このとおろは継ぎ足しであろうと思うがぼくが読んだ青空文庫そのようなっている。不死の薬をもって部下の者を行かせるのは静岡という地名があることから、たぶん富士山である。
 緩い反権力というのが日本常だ。それほど日本はいわば豊かであったのだろう。ある一定の生活が賄えれば反権力は弱々しく、書いて自慰をするのかもしれない。この作者内の心理がわかるような気がする。
 逆に、俯瞰し、比較的にみれば日本は暮らすによいところであるということである。奈良、京都、
 ぼくもそうである、権力者を小馬鹿にしながら生きている。過激に何かをするわけでもない。
 「かぐや姫」作者はそこまで考えていない。月を設定してそこに昇っていくことで話を終えている。物語の構想力としては空の遠くに見える月に帰るという不思議さを最後のインパクトにしている。見事か? 日本は話にならないほど基本的に豊かなのだ。戦うことなく、逃げる。月に行ってしまう。なんと優雅なことか。
 やがて日本は「望月の頃」となる。