25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

JCスーパースター

2018年06月13日 | 映画
 今日は天気もよかったので、弁当を持って曽根へ行った。民泊の標示と掲示し、写真に撮り、県にメールで送った。ついでにまた草刈りをしておいた。前に横たわるようにある海は青く、遠くの山裾に古江がギリシャの島の町のように屋根や壁が折り重なるようにしてある、もちろん、ギリシャ的色合いではない。日本的、瓦的色合いである。
 あの壁が青で、あれが黄色、と思いながら古江のまとまった村落をしばらく見ていた。
 
 涼しいのだが、体を動かすと汗だくになる。自分で草刈りができなくなったら他人にお金をdscでぃて頼むことになる。床も傷んできている。床の張り替えも自分でしようかと思っているとこである。きっと面倒に思うだろうからと大工を思い浮かべるが、それの方が面倒な気もして決心を遅らせている。
 
 アマゾンで注文したDVDが間違ってCDが送られてきた。注文確認をみると、ちゃんと「ジーザスクライスト スーパースター」となっている。返品し、もう一度送ってもらうのも面倒なことだ。ぼくはこの映画をロンドンで見た。1973年のことである。ロックミュージカルでキリストが主人公である。2回目は東横線の自由ヶ丘の映画館んで今の妻と観た。テレビをつければトランプと北朝鮮のことばかりだから、この映画をみるつもりでいる。
  新約聖書は書簡入っており、異邦人への布教、教会の維持、活動、信徒としてのこころ構えのようなことをくどくどと説いているところである。もう読まなくてもいいのではないか、とも思うが、読んだからには最後までと思っている。
 
 イエスが生まれたあたりは生きるに難しいところだったのだろう。日本では考えられない苛酷さがあったのかもしれない。そのあたりのことは今週土曜日名古屋にでかけ、じっくりと書店で探そうと思っている、12使徒のうちヨハネをのぞき、ユダの自殺を除き、ぺテロはローマで逆さ磔で殺されて殉教、インドあたりまで行って殉教、斬首刑になるもの、胴体を真っ二つに切られるものと殉教者だらけである。そんな困難をしてまで布教をしようとする信念は、聖書のなかに源泉があるはずである。

 ロックミュージックは福音書の要点をうまくティム・ライスが作詞し、それにアンドリュー・ウェーバーが曲をつけている、
 確か、オペラ座談の怪人も、エビータや、キャッツも同じ作曲家でなかったか。傑出している。彼は時代が変わっても、譜面通りに演奏されること望んでいるらしい。70歳である。
 劇場のもより、ぼくは映画の方がずっとよかったと思っている。彼は映画が不満だったらしい。ぼくはノーマン・ジェイソン監督に軍配を上げる。