25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ドローン

2015年05月22日 | 文学 思想
 SNS 例えば、ツイッターであるとか、フェイスブックであるとか、ラインのようなものが登場してきた。発展途上国は固定電話を飛び越えて、携帯、スマホが席巻し、検索さえできれば翻訳機能もそれなりに役割を果たせるようになり、写真はもちろんのこと、You-tube にしても動画が世界に発信できるとうようになっている。
 空の世界では尾鷲から東京までよりも那覇ー沖縄の方が運賃がやすい。札幌ー東京の方がJRでいくより安い。世界の交通の便も20年前とは全く違うものとなった。

 それで人間というものが変わるのだろうか。あるいはそれで人間と人間の関係性が変わるのだろうか。ありえないように思う。確かに便利になったが、人間の善悪などや人間同士の関係性は変わらず、ただ勢いがつきやすい強さと脆さが同居することになったぐらいにしか思えない。ロシアのクリミア半島侵攻をSNSが止められたわけでもないし、タイの軍事政権誕生もSNSが止められたわけでもない。原子力発電所反対が過半数を越える日本でもそれをとめることもできないのだから、SNSはただの遊びか、商売のツールぐらいで有効なのではないか、と思ってきた。そして今もそう思っている。

 コンピュータやセンサーや無線の技術発展は凄まじく、その凄まじさを感じさせるのは「ドローン」だとふと昨夜寝床で思ったのだった。もしもハチやハエくらいのドローンができたら薄気味悪い。例えば、ある場所で、どこかの国の首相が演説をしているときに、虫のようなものが飛んでくる。それがチクリと猛毒の入った針を刺す、みたいなことを想像した。
 テロ集団は人間ではなく、虫のようなものだったら、と思うと恐ろしい。そしておそらく製造は将来可能になるのではないか。

 ISと呼ばれる武装集団がシリアの世界遺産のある地域を占領したというニュースを聞いた。ISに武器を売っているのはどこなのだろう。本当は武器を入手できなくすればいいはずなのに、武器を使って空爆し、それでもない、IS に別の地域が占領されてしまう。いたちっごこの原因は武器になる。どこかの武器商人が売っているのだろう。それを止められないようなら、人類というのは摩訶不思議な悪を抱えた個人の集団だということになる。止められないのだから。お金がほしいのだから。すると、「ドローン」を使った武器が早速登場してくるに違いない。

 「核兵器」の開発は人類に大きな重荷を背負わせた。仮に「ドローン」を使った武器ができれば、それは核よりも恐ろしい混乱を招くことだろう。
 21世紀後半は「ドローン戦争」になるのかもしれないと思わせる。戦争で犠牲にな人がいて、傷つく人がいて、ボートで逃れる難民がいて、シリアはまさに戦国時代の様相である。戦国時代よりもより複雑に外からの攻撃もある。この国が再出発するのはいつの日になるのだろう。
 「ドローン」を便利な運送や撮影など使う会社なども出てきている。
 こういうものはいくら資格制や登録性にしても無効のように思える。革命というのはそもそも無効性を主張するものだからだ。

 しかし、世界はなにか、おっとり、のんびりしているように見えるのは僕だけなのだろうか。