25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

静かな生活)

2015年05月01日 | 日記
今日からまた夫婦だけの静かな生活に戻った。朝の十時からメールへの返信を書き、それが終わると「日本語のテキスト」を考え、作り、参考にするべき資料を読み、また考える、ということをしている。いかに速習できるかが、目標である。英語のテキストがあれほどていたらくのと同様に、日本語学習も、教え方のメソッドがない。ほとんどの日本語テキストに目をとうしてみたが、得るものといえば、日本語能力試験でだされる語彙や文ぐらいのものであった。
 初期に多言語を学ぶ場合、身体を通すことが一番近道である。「立ってください。」と言えば、初めはわからないが、先生が立つように促してやryと、「立ってください」の意味が体を通してつかめるようになる。逆に「座ってください」と言えば、なんとなく「座れ」と言っているのだな、とわかってくる。
 僕はこの身体を通してリスニング練習が可能である英語のテキストを児童用から高校生用まで作ったことがある。英語圏人の先生はこれを使って授業をしていた。英語圏人だからといって「教え方」はほとんど知らないのだ。英語圏人を学校に配置するかには、彼ら用のテキストやマニュアルが必要である。
 この試みは成功し、あっという間に英語圏人の講師を派遣してほしいという塾や学校が相次いだ。名古屋で一番多かった。大阪、東京と広がった。
 これは僕の悪い癖なのか能力がないのか、一度完成させてしまうとそれを持続して事業を拡大させていくということができない。次に開発することが出てくるのだ。
 だから今思うに一匹狼みたいなのが一番よい。責任は自分自身。自由きままにできる。しかしながら大した設備や研究費用がかかるものではできない。
 今日は5回目の分までで終えて、あとはいくつかの資料をマックでぺらぺらめくりながら、買い物をして、モーツアルトのシンフォニー20番を聴いた。するともうお食事タイムとなる。僕の場合、これが長い。食べ終わるまで1時間半ぐらいはかかる。アルコールを飲むからだ。

 庭のハナミズキはまだ咲いている。長くひっそりと咲く花だ。花びらが葉の上についているので、山茶花や桜とは趣が違う。もっと庭の内側に植えるべきだった。植えた頃は境界の壁から1メートルほど内側に植えた。それが20年も経つとひどく大きくなってきて隣りの家にまで葉が侵入し始めたので、思い切って剪定をした。するとまた大きくなって剪定した。本当は幹の太いものにしたかったのだが、しかたがないと諦めた。今はこじんまりとしているが多くの花をつけている。
 ハナミズキが咲いている間は青葉の季節である。霞もとれてくる。これが五月だ。五月も終わりになると梅雨の季節があyってくる。庭では紫陽花が咲き始める。
 ふと、季節、季節の木の花を植えているが、草花を植えてみようかとこの頃思う。プランターを買ってきて寄せ植えをすればいいのではないか。バリ島ではグヌンホテルがうまく大きな鉢を使っていた。それは自然と色合いがバリ島の花とあっている色合いで、やがて苔むしてくるような感じなのだ。そんな鉢を買いたいが日本には見当たらない。

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