25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

パソコンの不快

2015年05月15日 | 日記
コンピュータのポータブルサイトも姑息な手段で、競争を繰り返し、僕らは迷惑千万である。中国のものが急に出てきたり、E-
なんとかというのものが出てきたり、そのたびにクリックする回数が増えていき、時間もかかる。すると、今度は、あなたの不要なソフトがこれだけあるとか、言って、それをクリアにするかどうか、とか、ウィルスのことだとか、なんだかんだと画面に出てくる。脅迫のようなものだ。
 
悪質であると思う。パソコンの知識が十分でないと、これは「だます」とか「鬼のいない間に洗濯をする」というものである。
 この頃、Explorer を使っていると、「終了しました」「新しいExplorerをだします」などと出て来る。
 こっちは何もしているわけでもないのに、雲の上の向こうが作戦を練って、各自のパソコンを支配しようとしてくる。

 これはとんでもないことで、自分の希望に従ってパソコンは機能できればいいのである。不便だと感じれば、もっと便利なものはないかと消費者側が言えればいいと思う、ところがあいつらは一方的に、勝手にやってくる。

 ああ、こんな世界とも付き合いきれないと思うが、パソコンは便利である。今、僕は裁判の準備をしている。ところが弁護士がパソコンができない。資料を送るにも郵便。話し合うのも、わざわざ出かけて、話し合い、同じようなことをなんどもなんども記憶を呼び覚ますように出かけなければならない。裁判訴訟が遅れてしかたがない。僕の予想だとすでに3月には裁判が始まっていなければならない。
 ところがそれができない。弁護士がパソコンを使えないからだ。資料など添付すれば7よい。ちょっとした確認などラインでもスカイプでもよい。

 ところがこのようなパソコンにつきあっていると、その付き合いの面倒さが出てくる。勝手に遠慮会釈なく支配しようとして来たり、自分が書いた文の下に自分らの仕事と競合する広告が出てきたりと、この頃相当パソコンが不便になっている。要らぬものがでてくるからだ。

 テレビも好きだ。コンピュータも好きだ。スマホも大好きだ。しかし煩わせてほしくない。
 「煩わせないパソコン」が出てきたら、僕は即刻買うだろう。それほど、厄介になりつつある。パソコン画面上でお金をとろう、とろうという意思が見えてくる。

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