25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

日露戦争話

2015年05月10日 | 社会・経済・政治
  引き続き日露戦争の話です。半藤一利の「戦争と日本人」からの感想です。司馬遼太郎の「坂の上の雲」ででてくる第三軍参謀長の判断能力のなさを辛辣に書いています。ところが彼は戦争後、爵位をもらっているのです。明治という時代はこの日露戦争で終わったようです。それ以後の日本はロシアからの復讐におびえます。そして大衆も戦勝気分に酔って、日本人は負けない、先進国の仲間入りだという気分になっていきます。つまり合理的判断とか分析とか、知性を忘れてきわめて心情的になってしまいます。

大帝国ロシアに戦力も10分の1にもならない小さな島国の日本が大帝国ロシアに勝ったというニュースは東南アジアを元気づけます。中国からの留学生も日本には約6000人もいました。孫文もそのひとりです。ヴェトナムからも留学生は来ていました。インドではガンジーは不服従運動を起こすのは日露戦争の翌年からです。

 ところが一流気分になった明治政府はヴェトナム人や中国人を締め出します。格下の国の人間ども、とみるわけです。この気分は昭和の50年、60年代までは続いたのではないでしょうか。今でもヨーロッパ大好きで、東南アジアを汚いとみる人もいます。年配者に多いのはそういう影響なのでしょう。日本はひたすら西洋化をめざし、それが世界の優秀国の一員だと思うようになります。気分です。データではありません。本当のところは先進国におちゃらけにされていたわけですが、当時の中国人は清朝を倒し、中華民国を作ります。その幹部は日本から追放された留学生たちです。それを思うと、締め出しさえしなければ今の中国とも関係が変わっていたのかもしれません。
 
今年のゴールデンウィークで一番多かったのは東南アジア観光でした。平成時代に入って、アジア地域の発展とともに、若い人々の気分のほうが年配者と違ってきているように思います。
 日本が再軍備化をすすめると恐れる気持ちはわかるような気がします。やはり全体とすれば、アジアを見下しているような感じがするからです。それは政治家だけではなく、一般国民も同じようだからです。

 尖閣列島の問題でも、マスコミ、コメンテーターやテレビに出てくる評論家も、心情的です。共同統治という案さえ出てこず、「あれは日本の領土だ」とばかり言っています。そんなに尖閣列島が大事なら話し合うべきだと思いますが、なんとか尖閣をとられないように、アメリカ頼みをするという有様で、それがリアリストだと自慢しているような向きがあります。

 とにかく、日露戦争以来、その戦争で動員した100万人にも上る戦闘員と。遼陽の戦いでは23.714人が戦死。沙河の戦いでは 20.574人、奉天の戦いでは 70.061人が死にました。他の戦いも含めて、1.08.9000人を動員して 戦死者 84.400人が戦死。戦傷が140,000人でした。ひとつの大砲で50発分の用意をしていたのが1日の戦いで30発使ってしまうというすざましいものだったようです。実は、日本軍にはもうなにもなかったのです。一方ロシアはロシア革命の運動がすすんでいました。それでアメリカを仲介としたポーツマス条約に両者とも調印したのです。
 しかし新聞も世論も「勇ましい」ことしか報じません。政府もそういう気分に冷や水を浴びせるようなことはできません。それで内実を隠したのです。

 現在は国民の世論というよりは世論無視の形で集団的自衛権だとか、地球規模にまで自衛隊の活動範囲を議会の承認もなく政治家主導で「戦争できる国」になろうとしています。
 いつも犠牲になるのは一般大衆です。安倍首相が前線にでて闘うはずもありません。大言壮語している老いぼれの老人もいくはずがありません。
 今日はこういったところで。