ノック無用の高齢者日記(パークゴルフ??)

令和に成って退職の日々の出来事

工業って、女性から敬遠されるの??

2013年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

10月15日

私が木型を作り始めたのは16歳から

高校時代に夏休み、冬休みとかにアルバイトで木型を作りました

今考えると、修業期間って有ったんだろうか??

毎日旋盤を引いていた

その時中学出の住込みも居たけど

私の方が断然仕事が出来た

大学に入ってからはやらなかったね

木型屋には成らないと決めていたから

 

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どうなんでしょう?自分の家の仕事って新鮮味が無く

毎日見てるので、儲からない、毎日9時頃まで仕事しないと駄目

もっと楽な仕事って有るでしょう、って思いますよね

同業者の2代目って、すんなり木型屋に成った人は殆どいない

 

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昨日、北海道工業大学の先生が野球少年を連れて来て

祝日なのに仕事をしてるのを見て、工場見学してくれました

実は、1年くらい前には自分の子供達を連れて来て見学した事も

 

Dcim0284

Dcim0285

 

私が木型を始めたころから比べると時代が変わってる

 

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先生に、北海道工業大学って名前が変わるんですねと尋ねると

工業と名前を付けると、女性が応募してこない

医療大学に変わるそうです

 

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工業じゃ生きて行けないのか

 

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それとは真逆に、今日から女性従業員が9年振りに復活

9年振りなんて、殆ど忘れてるでしょうって感じでしたが

原図書いてる時にちょっと細かい事を指示したら

思い出しました前に聞いた事有る

良く覚えてるなって感じ

 

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今、木型を作る女性が3人に成った

店長のブログにも書いてましたが

録画していた和風総本家を見たら、女職人の話

「戦う女職人」

http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/212517/index.html

 

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一人は父親が癌に成ってもう長くない

染め職人の話、後を継ぐ者も無い、染料を処分しようとする

「ご先祖様申し訳ありません」って投げようとしたとき

とっさに全くやった事が無かった娘さんが「私がやります」

娘さん、離婚してして3人の子供をつれ実家に帰って来ていた

離婚しなかったら、多分無くなっていた

 

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桶職人の方は奥さん

こちらも癌で長くなくて、病院のベットで奥さんに

「お前が後を継いでくれ」

奥さんは手伝ってはいたけど真面に作った事が無かった

奥さん「やります」心配しないで

それを聞いて直ぐに亡くなったそうです

奥さんその時安心させようと思って言っただけだそうです

やって見ると、どうやってやるか解らない

すると夢の中に出て来て教えてくれると言う話が有りました

 

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ポイントは家族ですよね

私が親父が脳梗塞で倒れた時

会社が赤字でやって行けないと解り

給料を下げると告げると職人が辞めてしまった

私一人という事に成った

きっと会社はつぶれるだろう、と言うシュミレーションが解るはずだけど

それで、息子と嫁さんを巻き込んでやって来た

つい最近も似た様な事は有った

 

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色々有っても、変わらなかった事は

家族と周りの環境です

中が変わっても周りは変わらない

逆に一層絆が深まる感じ

 

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遠藤木型と言う看板と

築いて来た伝統はそう簡単に崩せない

そんな事を感じます

 

遠藤木型

http://www.endokigata.com/