ふわゆき絵巻

ねこと船と手作りと旅

スーパームーン

2011年03月20日 | 日常
3月19日は月と地球が19年ぶりに最接近して、スーパームーンと呼ばれる満月の日でした。




スーパームーンと飛鳥II


写真的にはダメダメだけど記録として
もっと写真練習しよう・・

飛鳥IIは横須賀の後、名古屋、横浜。
横浜から近場のクルーズに出かけるところでした。
客船は夜も美しい。
闇に包まれた海に船室の明かりが、星のようにきらめきます。

飛鳥II 入港

2011年03月18日 | 
客船飛鳥IIが横須賀に入港しました。
ずーっと前から楽しみにしていました。




早朝、客船の影が。





猿島を回りました。船首がこっちを向いてる!





入港のためのタグボートがつきました。





午前7時45分、いよいよ接岸。
2台のタグボートが押していきます。





ホントに飛鳥IIだ!





にわかカメラマンもいっぱい。



  

いろんな角度から撮ります。
立ち入り禁止区域もあるので、なかなか難しい。





うちのマンションからも見えます。
美しい船です。





午後5時出港です。大きな汽笛が鳴りました。
タグボートが引張ります。





港の関係者の方が手を振っていました。色とりどりのテープも。
キャプテンは船首にいました。かっこいい~。





船が岸から離れたところで、タグボートが船首を押して方向転換をします。





港を出ました。





夕日にきらめく飛鳥II。
また来てね。



本当は一般の人も交えて歓迎イベントがあったのですが、
地震の影響で中止に

それでも、こんな船が間近で見られて久しぶりにワクワクしました
いいなあいいなあ。

♪ うーみーにお船を浮かばせて、行ってみたいなよその国 ♪

口ずさんでしまいます。



それからうれしいニュースが、前記事に書いた南三陸のホテル観洋さん。
従業員も旅行者の方も全員無事だったそうです。
よかった!!


※訂正
出港時船首にいたのは、航海士(たいがい1等)だそうです。
キャプテンはブリッジにいるそうですm(_ _)m


☆飛鳥II <郵船クルーズ>
総トン数 50,142トン、全長 240.96 m、全幅 29.6 m、喫水 7.5 m、
乗客数最大940名、客室数 462室
乗組員数 約440名

東北関東大震災 私記録

2011年03月14日 | 日常
今回の大地震、被害が明らかになるたびやるせない思いです。
自分の記録を残しておきます。


2011年3月11日(金)

1430 実家のある千葉県北西部の駅着。

1440 徒歩で実家に到着。母は掃除をしていた。

1446 地震発生。長い。いつもは収まるころに激しくなってくる。
     TVを母が父は飾棚を押さえていたが、飾棚の中の壺が倒れる。
     納戸のなかに突っ張り棒でかけておいた、バッグ等落ちる。
     壁に掛けてあった油絵が大きく揺れる。
     犬用の水が大きく揺れこぼれる。

1520頃 TVの津波の中継を見て震えが止まらなくなる。
      真っ黒な水と瓦礫が、畑をなめるように進んでいく。
      道路を走っていた車も呑み込まれてしまった。

16頃 中学生の姪が自転車で帰ってくる。地震後校庭で1時間ほど待機してたとのこと。
     家に誰もいなかったらどうしようと心配していたらしい。

1749 夫から連絡、自宅の付近は停電している様子。
     海岸沿いのため津波が心配だったが、潮位の変化はあったが被害はないとのこと。

18頃 仕事で豊田に行っていた弟から連絡。
     駅前のマックにいて情報がわからないとのことなので、電車が動かないのでそこにいた方がよいと伝える。

夜   西日本に住んでいる親戚から安否確認のメールが入る。
     何度も連絡をくれていたらしいが繋がらなかったとのこと
   
    余震がずっと続いている
     
23頃 就寝




3月12日(土)

7時すぎ 起床 
      就寝中、7回も余震がありよく眠れず。
      回数は母が数えていた。

0818 豊田のマックで一夜を過ごした弟から連絡。
     まだ電車は動いていないとのこと。

0831 バレエ教室の先生から連絡。
     スタジオが被害を受けたのでレッスンはお休み。

11頃 弟から連絡。上野駅に着いたがすごい人でホームに降りるのに2時間待ちとのこと。

14時 弟ようやく帰宅。
     豊田のマックは地震直後は閉店していたが、また開店し営業してくれたとのこと。
     食べ物には苦労しなかったが、店内でもかなり寒くカイロを7つも貼ったという。

この日も最寄り路線が途中駅までしか運行していなかったので、実家に泊めてもらう。
余震は回数は減ってきたがまだある。
近所の灯篭が倒れ、隣家の外壁にひび割れあり。
新聞で実家の付近は震度6-と知る。



3月13日(日)

7時過ぎ 起床。
      最寄り路線全面開通とのことで帰宅の準備をする。

0830  入院中の叔母危篤とのしらせ。

0930  母と最寄り駅に。 
      私は帰宅、母は妹(叔母)の病院へ。
      電車を待つ間、叔母の訃報を聞く。
      病院に行くか迷ったが、帰宅することに。

1130  自宅の最寄り駅着。

12時前 帰宅。


自宅は7階にあるが被害はなし。
熱帯魚の水槽の水が少しこぼれた形跡があったが、
そのほかは、何もなかったよう。

今回の地震で、自分、家族、家の被害はなかったが、
被災地のことを考えると胸が痛む。
あっという間に数千以上の命が失われたかと思うと、寒気がとまらない。

被害を受けた、塩竃は去年旅行で訪れた。
商店街の人が手作りで町おこしをしていて、とても暖かい気持ちになった。
南三陸にあるホテル観洋。
窓にカモメの来る、絶景の宿だった。
ここもなくなってしまっただろうか。

まだ余震も続いているし、生活への影響はこれからだと思う。
ごくごく平凡な日常が、こんなに幸せなことかと思い知らされた気がする。






TVボードの上のはまぐり雛が倒れていた