テンキチのブログ「誠」

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「竹島」の真実 その一

2005年03月16日 16時05分37秒 | 歴史のこと
島根「竹島の日」条例が成立 (読売新聞) - goo ニュース

多くの日本国民は竹島について、ほとんど何も解ってはいないし、興味すら持っていないのではないでしょうか。
そこで、本日より、竹島が日本の領土であるということが真実かどうかを客観的且つ具体的に検証していきたいと思います。

まずは竹島は歴史的に日本の領土か。
つぎに竹島は国際法上日本の領土か。
最後に竹島は韓国により不法に占拠されているのか。

①歴史的考察
竹島は隠岐諸島の西北約157㎞の位置にあり、面積は0.23k㎡の島である。
竹島が我国の文献に出てくるのは江戸時代初期からで、竹島から西北約80㎞にある鬱陵島への渡航、開発の記述のなかに見られる。
鳥取の藩で廻船業を営んでいた大谷甚吉が鬱陵島にたまたま漂着し、この島が無人島でその周辺海域が優良な魚場であることを知った。
そこで大谷甚吉は村川市兵衛と共に鬱陵島への渡海、開発を幕府に願い出て、元和4(1618)年に認められる。
以後、大谷と村川両家は鬱陵島での漁業権を独占することになる。
その後、アワビやアシカなどの猟も行い、鬱陵島の木材の伐採なども営むようになる。
そして、竹島は鬱陵島へ行く中継地として使われるようになり、また竹島の周辺海域でも漁業をするようになった。
それ以降、我国の多くの文献や地図に鬱陵島と竹島が現れるようになる。
一方、韓国での竹島の歴史事実は次のとおりである。
李氏朝鮮では、犯罪者やならず者などが鬱陵島に逃亡し、困惑していた。
それ故に「空島政策」というものをとり、鬱陵島を国土ではないと宣言した。
この空島政策は明治14(1881)年まで続けられた。
鬱陵島がこの有り様であり、それよりさらに東南に80㎞も離れている竹島は、その存在すらも朝鮮は知ってはいなかったのである。
従って、ここまでの歴史的考察においては、竹島が日本の実効支配のもとにあったのは勿論のこと、鬱陵島(現在韓国領土)も本来は日本の領土であると言えそうである。

<続く>




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