(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

あれから今年で20年

2016年04月19日 | とある貨レ撮りの世迷い言
 三田線初代車両6000系の第二の奉公先に熊本電鉄があって、移籍していった冷房改造車6123Fだかの様子を見に出掛けてみたのが'96年夏。
 行きはイッパチ君こと青春18きっぷの二日分を使い、新橋※1から各駅停車を乗り継ぎ、京都から「ムーンライト九州」で博多入りして、「九州周遊券」で「つばめ」に乗車、熊本入りした訳だが、当時熊電はまだ北熊本まで路線があって、歩いてちょっとの所に駅があったので、北熊本までいっかい戻ってそこから乗りにいった。
 そこでは驚いたことに、「自転車」いやチャリンコといった方がいいか、それの持ち込みができた。
 どこのヨーロッパの片田舎だ!?という、三田線ではあり得ない光景を見た時は、「ここ日本だよな?」と辺りを見渡した。尤も当時の俺は、国鉄=JRと大手私鉄しか乗ったことのない甘ちゃんで、そういうのも知らなかったから当然だった。世間は広い、あまりにも広い。
 熊電をいちおう全線乗破した後で熊本駅に戻り、「牛タン買って贈れ」という佐賀出身の仕事場の先輩の言いつけで牛タンを買った。着払いでいいよ、というので駅内にあった特定局からそれで送ろうとしたら、応対した局長がまた"仕事を知らない"。「あぁ、ラベル貼ったままでいいよ」と言い出すので、斯く斯く然々「兵隊」の俺が扱い方を教えて引き受けてもらった。俺がその局を出るのと入れ違いに本務者がメシから戻ってきて説明したらしく、別件でその局に戻ってきたら「あぁ、そうだったよ。悪りぃ悪りぃ」と平謝り。こんなだったらもうちょっと遅くに来てもよかったと後悔したのは言うまでもない。
 そのあと直ぐにまた久留米まで戻り、「ゆふ森」こと「ゆふいんの森」3号※2で大分まで出て、小倉まで「ソニック」にちりんに乗車して、駅前のビジホに宿泊して2日目を終えたが、乗るだけ乗ってなんとも忙しない、あまりよい印象のない1日になってしまったのを後で反省した。因みに翌日は早朝から唐津線だの松浦鉄道だのを乗ってトドメに「あかつき」"ソロ"で京都に出てそこから「のぞみ」2号で帰京したが、その話はまた別の機会に。
 あれから20年、何か行きたくなるようなネタがあったら、と思いながら過ごしてたら今度の大地震。心配はしても九州は遠い。飛行機とかカンセンとか、自分の首に送状つけてパレットに載ってとか考えても、なお遠い。
 にもかかわらずあんな弾丸旅行をやったのは、何にも知らない若かった時分だから出来たことだったのではないだろうか。

 ※1:仕事明けで出掛けたので。
 ※2:キハ71系のビュッフェ付は当時、下り3号と上り2号だけで、他はキハ183系だった。


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