(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

天間林

2023年11月26日 | ★★★┃ ロ┃ED75総合 |★★★
 現在の青い森鉄道区間となった、旧東北本線・上北町~乙供間は昭和43年7月23日に複線化(Wikipedia”ぶるーもりす鉄道”による)された。電化完成が8月22日だから、結構遅くまで単線区間で残ってたのが伺える。(因みに青森県内の複線化は八戸~陸奥市川間が同40年6月30日に始まるが、本格的に完工していくのは同43年4月28日の三戸~諏訪ノ平間以降のこと)
 で、上北町の駅からかなり歩ってった先に天間林踏切という踏切がある。この踏切の辺りは七戸町の町内だが、俺が初めて踏み入れた2001年頃はまだ「天間林村」という村だった。何でこんな奥地までフル装備担いで歩かにゃならんのよ?無人駅でも拵えれば話のネタにもなったろうに、と当時は思ったものだが、年表と地図みれば理由が分かる。天間林村の中心地は東北本線より西にあって、某縦貫鉄道も通っていたから、態々村外れに駅を作る必要もなかったのだ。
 踏切のすぐ青森方は切り通しで、複線化工事の際は旧線を活かしつつ、両側に山を削り取る形で土地を確保して新線二つを作ったのがみてとれる。なのでこの切り通し、信号場はなかった筈なのにもう1本レールが引ける程の線間がとってあり、構えてみると現車20両すっぽり入ってすっきりと見える。

上北町~乙供間”天間林村”付近を行く129牽引の3092レ。(08.02.02)

 129が牽く3092レはたまたま撮ってたものだが、初めてサルヴェージしたのは復活して運用終了後のこと。撮った自分すら忘れていたので思わず出てきた時は感動した。
 天間林には2002年12月に新幹線が八戸まで開業した日まで通ったが、線間に雑草が生い茂り過ぎたのが原因で行く気をなくして通うのをやめた。後にナナゴ貨物の運用が消えてすぐの頃、ギリギリJR東北本線時代だった時に何回か通過した時、踏切の周りで線路の改良工事をやってるのを見掛けたが・・・

googlemapから

上り線が下り線側に寄ってた上に、”旧上り線”側には防風林だのハリエンジュだのが繁っていて、”信号場”跡地かと見紛った程広々としていた空間は消えていた。


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