(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

晩秋のヒガハスにて

2010年12月02日 | 棲息地は】武蔵野ストラット【多摩川
先日後藤さんのトセイを撮りに行った時に
何本かEF66牽引の貨物も撮れたのは先日のログにもある通り。
まぁ月曜日なので、荷が載ってなくてフレームライナーだろうと
正直なところ、あまり期待はしていなかったけれど
列車によってはこの日の3082レみたいに割とと積んでたのもあったので
これらはこれらで(光の加減も含めて)意外な収穫だった。
それにしてもコキ50000にTRANCYゴッソリって…


朝まだ陽も低い7時前。
向こうのウチでは早くから落ち葉焚きでもしてるのか
朦朦と煙があがっている。
間違ってもゴミを焼いてるとか思わない。
せっかくの趣きが無くなってしまう。
ピン位置に陽は何とかあたっている状態だけど
露出がないから、曇ったら多分シャッターは切れない。
まぁ、いいや。本命は2時間後の2レだし。
丁度やんわりと陽が差してきたところに、3082レがやってきた。
牽引機は「新」更新色の32番。
これはこれは何という幸運。旧友よ、まだ生きてたか。

国鉄末期の86年8月、このカマはブルトレを牽引していた。
何せ根府川の鉄橋で同機牽引の
4レ「はやぶさ」を俺が撮ってたから間違いない。
同年11月の改正で吹田区に転属になり
そのまま貨物所有となって以後は貨物一筋、東奔西走の毎日。
いつしか主力の座は後輩のEF210「桃」太郎・「吹」太郎にとって代わられ
仲間の0代機には一線を離れて廃車になっていくのも増えた。
それでも運よくこのカマは、憂き目から逃れて何とかかんとか
北は黒磯から西は幡生までのロングラン運用をこなしている。
そういや今残ってる0代は
かつてブルトレを牽いてた面子が多くなかったか?
この32といい、33、34、35、39…何が幸いするかわからないものだ。

露出はギリギリだったが、前が詰まっているのか
速度が遅かったので1/320で何とか撮れた。
だが日の出の時刻は成田臨が始まる時期までは
刻々と遅くなっていく。
…次に撮れるようになるのは2月アタマぐらいか。
多分今頃はデジでないとチト無理かもしれない。

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2 コメント

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Unknown (プータヲ)
2010-12-02 21:10:50
最近は54号機なんてのもいますね。
西の最後の2機は、南福井でギロチンの刑にあったそうで…。
何が幸いなのか…。
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Unknown (ぃょう@某家頁管理人)
2010-12-02 22:51:31
> 同志・p(ry

あの2両のうち45は俺も国鉄時代に1080レ(現:5066レ相当)で撮ってたような…

ホンの少しのタイミングで生かされたり屠られたり
モノの弾みってのはわからない。
で、最近はそのモノの弾みを科学するとかいう試みが米帝の方であるらしいから
余計分からないもんです。
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