(まだまだしぶとい) チラシの裏日記

鉄道写真中心に、撮影行記やその思い出話、音楽鑑賞記などを

最終運用当該機、EF200-18

2019年03月30日 | ぎゃらりぃ「チラ裏」
 の、写真を肴に。

「公式側」が味があって好きだった

 関東までの定期運用を失ってからの2015年から16、17・・・のだいたい3年間、がEF200が最後の輝きを放っていた時だったと思うのは、俺だけではないと願いたい。
 尤も全盛時は、関東じゃ夜と早朝にしか見られない「夜の帝王」で、撮りにいくなら夏休み取って近江長岡か、大垣夜行で富士折り返しやって根府川や横浜で降りて、江ノ浦まで歩いたり花月園までタクシー飛ばしたりしてと、出来る限りの事をやらないと撮れない機だった。所が、運用拡大で武蔵野線まで入るようになると、越谷タまでライナー牽いた帰りに、3461レや3463レといったワム車貨レを重連や単機で牽くのが目だって、「どっか違う」と感じるようになった。
 そのうち武蔵野線入線運用から退いて以降は、EF210の台頭で充当される列車も、稼働する機も減り、とうとう2015年改正で東海道本線"定期"運用消滅となった訳だが・・・
 まぁ色々牽いた。吹田区や岡山区の運用で、自区から東京タにでて短期間で戻れる仕業には、月数回ペースで上京しては西下するのが見られた。出来たばかりの55レ、54レ"福通ライナー"や、九州行き5073レ、5075レやエチコキ付きの1077レ→5095レとかはよく先頭に立ってたし、突発で広島タ発や東福山発の1060レや66レ、更にはレール輸送列車8090レの牽引もこなした。

16.07.'16 真鶴にて

 しかし検査期限切れで稼働機が少なくなると、以前のように遠くに出すことが難しくなる。2017年改正でも上京して元気な姿を見せたEF200だが、5月一杯(或いは6月頭)で吹田以東への代走運用を終了し、以後は山陽本線中心の代走運用になっていく。
 昭和から平成と年号が変わった当時、何か新しいことが起きる予感で幕を開けたが、実際は社会事情の大幅な変化と相次ぐ震災、災害とで、それに振り回されっぱなしの30年だった。EF200もまた大きな期待を担って華々しくデヴューしたものの・・・という時代の鏡を見るような機関車だった。

蛇足追伸:所で最後まで稼働していた中でちゃんと下関方に1エンドを向いていた機は、ひょっとしたら居なかったんじゃなかろうか?


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