EBI印 近隣探索日記

休みの度に、近場をウロウロしては写真をパチリ。
徒然に撮った写真をUPしつつ、ゆるゆる更新します。

冬の松島 福浦島

2010年12月29日 09時13分30秒 | 日記

五大堂からほど近く、福浦島が見える。
朱塗りの長い橋があり、何故か有料。
歩道で有料っていうのも珍しいので渡ってみた。

風が強くて、この時期は完全防寒対策が必要だな。
橋の上から、小型の遊覧船が加速していくのが見えた。
塩竃とを往復している大型観光船なんかは、行列ができるほどの賑わいだったし。
やはり日本三景松島。
他の観光地なら空いている時期なのに。
この島にはこれといった施設がある訳でもないが、散策を楽しむのには丁度良い感じ。
島から眺める松島湾の景色はなかなかのもの。



ヨットの奥に、松島の島で最も有名な仁王島が見えた。
小さな岩の島だが、対岸の多門山の展望台からしか見た事がなかった。


散策路から外れて、切り通しを降りてみたら、コンクリート製の桟橋が・・・・


いつの時代の物なのかは解らないが、橋がかかる前の物なのだろう。
続く・・・

伊達藩要害  5

2010年12月29日 08時00分00秒 | 伊達藩要害
伊達家重臣の茂庭家の所領、松山城。
実際には要害の下、所と呼ばれた陣屋。
しかし行ってみると、これが陣屋どころか立派な連郭式の山城そのもの。
時代が下がり山麓の施設が中心になったのだろうが、戦国期なら堅牢な山城として使っていたのだろう。



夕方なので写真が暗い

まず駐車場まで車で行き、少し歩いたら広い公園があり、そこが本丸かと思っていたら三の丸。

何か得体のしれないレールが敷いてあるが、皆目見当がつかない。
三の丸の奥まで来たら

前日の雪が残るがこれは行ってみないと。


散策には良い小道があり、二の丸から本丸へは堀切と本丸橋。
当時の遺構かどうかは別にして、三の丸、二の丸、本丸と充分に楽しめる。
残念なのは、冬の夕方なのですぐ日が落ちてきた。



本丸は充分な広さがあり、当時はどのような感じだったのだろうか。

こんな日にも、先客がいたようだ。
雪に足跡が残っている。
物好きは一人じゃなかったようだ。

山を下りて資料館に行ったが、閉館まじかで断念。
そう遠くないので、出直しだな。

独眼竜政宗の時は鬼庭左月役がいかりや長介でその子の茂庭綱元が村田雄浩だったな~。
苗字が鬼庭から茂庭になったのは、豊臣秀吉から鬼が庭に居るのは良くないと変えられた為。

冬の松島 笹かまぼこ

2010年12月28日 18時04分21秒 | グルメ
観瀾亭の道路向かえにあるお土産屋さん。
萩の月で有名な菓匠三全とCMに前田吟が出ている(ローカルか?)阿部かまが二件。

ここでも笹かまぼこの焼ける香りがとても良い。
早速注文して焼いてみる。
片面2~3分って書いてあるがなかなか焼けない。


火が遠いのか周りは苦笑。

香ばしい香りがしてくると、お餅のように膨らんでくる。
冷たいものだと、薄い皮みたいになってっるのが、これなんだな。
ともかく熱い熱い。


御馳走様でした。

冬の松島 五大堂

2010年12月28日 09時36分34秒 | 日記
松島のシンボルと言えば、数々の島と寺社なのだが、一枚の写真でってなるとここの五大堂が有名。

ここの前で記念写真を撮ってる団体さんがほとんどだし。

小さな島を二つ、すかし橋で繋ぎ、渡って行く。

渡る時に気を引き締める為にすかし橋になっているらしいが、歩きづらいのでここで渋滞が起こる。

ここは、橋のたもとの瑞厳寺の建物の一つになっていて、中央に大聖不動明王、東方降三世明王、西方大成徳明王、南方軍茶利明王、北方金剛夜叉明王、の五大明王が祀られている。

外からじゃ解らないけど。
渡ってから写真撮ると小さな島なので、なかなか全体が写らないので、やはり対岸がベストかな。

天気の良い冬の休日。
なかなかの人出。
海も輝いて、これで雪景色ならなお善かったのだが、前日の雪はほとんど残って無かった。

冬の松島 観瀾亭2 松島博物館

2010年12月27日 18時05分37秒 | 日記
観瀾亭の横にある博物館は観瀾亭の見学料に含まれているけど、両方見て200円は御値打ち。
小さな館内ではあるがかなり充実している。



もちろん武具甲冑に馬具は何処でもおなじみだが、

豊臣秀吉

伊達正宗

武田信玄
の自筆。




八幡旗
伊達氏の総軍旗で、藩主の出陣の時のみ掲げたもの。





観瀾亭だけで帰られる人もいるみたいだけど、此処もお薦め。