ebakam art studio blog

眞壁 陸二

2011 last day

2011年12月31日 | Weblog
激動の2011年が終わろうとしている

極めてバタバタとした1年だった
震災以降 考えることがたくさんあった

世の中の嫌な仕組みが露になった
ヒドいのは政府と東電だけのことではない
資本主義の仕組みに問題があり
民主主義の仕組みもカネ次第だということが分かった
だからといって社会主義でも共産主義でも上手くはいかない
オルタナティブな発想が必要だ

2011年を機に世の中は目覚めた
そう後の世に言ってもらえるようにならなければならない
震災が無くてもヒドい世の中はあった
露になっただけマシかもしれない

命とお金 どっちが大切ですか?
あなたにとってプライオリティの高いことは何ですか?

僕ら家族は引っ越しをした
小さな子どもを第一に考えた
環境が変わり戸惑うことも多いが楽しい事もたくさんある
仕事も転換期だ
来年が勝負の年になるだろう

二度目のヨーロッパのアートフェアでも昨年以上の結果を残したい
現在4-5月に開催する日本橋は茅場町ベイスキャラリーの個展に向けて目下制作中!
自分に出来るベストを尽くすしか無い

2012年が幸せな年であります様に


ワークショップ 色彩論

2011年12月25日 | Weblog
茅ヶ崎市美術館でおこなったワークショップを少し紹介します
今回のテーマは「色彩」

僕は絵を描く際に最も楽しくまた最も悩むのも色彩
色を巧みに使いこなす画家は「色感がいい」なんて言って尊敬されます。

しかし色彩感覚は主観と好みによるところが多く一概にこれがいいとは言えないし答えは無い
派手好みの人もいればシブ好みのひともいますので押し付ける事などは出来ない
しかし 各個人の趣味の洗練や感覚のアップは可能だろう という前提でお話をしました。


色相、明度、彩度、そして補色を知る事である程度色の仕組みが分かる
でも知識だけでは描けない、感覚が必要
今回は色彩の冒険をしてもらいたくてフォービズム絵画に挑戦してもらった
お題はマチス作「緑の鼻筋のあるマチス夫人像」の自由模写
フォルムはマチスの絵をなるべく写し色彩は自分で考えてもらった

そもそもこのマチスの絵は「緑の鼻筋のあるマチス夫人像」とタイトルにあるように自分の奥さんがモデルの肖像画であるが、顔の中央が緑色で髪が青い、何も知らずにモデルをしていたらきっと奥さんに怒鳴られたことだろう
そのものが持つ実際に見える色(固有色)と例えば日中の光のもとで見える色彩と夕日のそれでは違う、光の加減によって見える色(現象色)があります。印象派まではその「見えるがままの色彩」を追求する眼の絵画ですがゴッホやセザンヌといった後期印象派以降は感覚や脳的、眼には見えない世界も描かれます。
中でも色彩を開放したのがこのマチスだったのです。
実際の色から離れて色彩を創造的に自由に使った。

何度も繰り返し言ってますが「上手な絵」と「良い絵」は違います
写真のような絵が良い絵とは限りません
写真に撮れないから絵を描くのです

一人でも多くの方が絵を描く楽しさを味わってほしいと願っております

2011年12月24日 | Weblog
今年を表す言葉を漢字一文字で表す、という行事を毎年京都のお坊さんがやっている
今年は「絆」だった。
何故そんなに奇麗にまとめる?
今年を表す一文字は「嘘」だと思う

「格納容器に損傷は無い」「ただちに人体に影響は無い」「メルトダウンはしていない」「計画停電の必要性」
震災直後言い続けられ東京電力、官房長官のこういった発言は全て嘘だった。

震災2日後にはメルトダウンし水素爆発でふっとびメルトダウンどころかメルトスルー
福島の子供には「ただちに」はないかもしれないが5年10年後に甲状腺がふくれ白血病とガンになる確率が出る確率が高くなる。
電力だって夏に関西に送る程東京電力には余力があった…
嘘まみれ

最近でも「収束宣言」「福島を日本で一番ガンの発生の少ない県にする」などのトンデモ発言が後を絶たない
シロウトが聞いたって「嘘だろ?」と思うことを真顔で国会議員のセンセイが 東大のセンセイが 口を揃えて言う
「安全だ」と
笑えないコントのようだ

今からでも遅くない
嘘をつくのはやめてくれ

福島に住む子供と若い女性は疎開した方がいい と僕は思う
ガレキを受け入れる前に女性と子供を受け入れてほしい

5年後10年後悲しい顔を見たくはない

ジャクソン・ポロック

2011年12月20日 | Weblog

先週の茅ヶ崎市美術館でのワークショップの帰り路、名古屋で開催中のジャクソンポロック展を見た。
まとまった数のポロック作品を見るのは初めて、なかなか今後こういった展示の機会が日本で催されるのは難しいかもしれないのでアーティスト、アーティスト予備軍、ならびにアートファンは必ず見ておくように!
ポロックと言えばポーリング(液状の絵具を滴らせる技法)で知られるアメリカ抽象表現主義のエース。

アメリカが最も輝いた時代、モダニズム絵画の中心人物です。
ポロック以前のアメリカははっきり言って田舎の絵画しかありませんでした
パリに追いつけ追い越せではいつまでたっても亜流でしかありません
当時はピカソがパリのアートシーンの中心、そのピカソが打ち立てた「キュビズム」をいかにして乗り越えるかがアーティストの宿命だったのです。
それは非常に困難で高い壁だった訳だが一人のアメリカ人がやってのけた
それがジャクソン・ポロック
モチーフを描かず筆も棒切れの様にしか用いず、床に敷いたキャンバスの上をエナメルのペンキをまき散らす様に描いたのだった。
しかし無限、連続、連鎖、カオス。 およそ自然の要素と思われる要素の全てが存在する
何も(見て)描いていないのに自然を感じる
インタビュアーが自然などのモチーフを見ないで制作する事に対して、「なぜ自然を見ない?」との問いに
「俺が自然だ」とポロックは言ってる。
すごい自信だ。
確かに完全に抽象絵画であるが 見ようによっては 枝の絡まる樹木のようでもあるし、上空から見た街、地下茎、人間の毛細血管といったフラクタル構造が見て取れる。
絵具を撒き飛ばし(コントロールされている)中心のないオールオーバーな画面はとにもかくにも斬新で画期的な発明だった。
いかなる画家もオリジナルであるためには「発明」が必要だ
ポロックは発明し発見した

作品以外にポロックのスタジオの実物大の再現が面白い
床は等倍で撮影されたフローリングの床をプリントしてある
床に飛び散った塗料の痕跡が作品より美しい

年明けは東京の竹橋、国立近代美術館へ巡回

新作 

2011年12月15日 | Weblog
ボローニャ、マドリッド、ケルンの各アートフェアに向けた新作から一部紹介します

三幅対の作品は金箔を使用しています
金沢復帰第一作
画面の構造、リズム感は光琳の「燕子花図屏」と長谷川等伯の「松林図」をオマージュ


昨年からの新シリーズ通称「ミモザ」タイプから2点
ネタをバラすと こちらはロスコやマチス、ニューマンといったモダニズム絵画が持つ平面性を強く意識している
画面は限りなくフラットだけど奥行きは必要だ
一見矛盾を感じるかもしれないが絵画とはそもそもそういうものです
壁であって窓であるのです



現在の僕のペインティングは抽象ではなく明らかに具象だけど具象も抽象も同時に抱えることが現代絵画の条件だ
どちらでもあり どちらでもない
だから無限の可能性が生まれる

どちらかというと自分はモダニストでありフォーマリスト
ただピクチャーメーカー(良い絵の作り手)になりたいのです



栗原一成 at 東京画廊

2011年12月14日 | Weblog
多摩美のセンパイでもある栗原一成さんの個展「その雨は水ですか」が東京画廊にて開催中
作家としてとても好きなアーティストであり、近年は鎌倉でギャラリーストンプ、東京でもゲル・オルタナというアーティストが自ら主宰するギャラリーというアーティストランスペースの実験をおこなっている作家です。
現在では多摩美の講師、ギャラリスト、そして自らアーティストとマルチな活動だ

なぜ栗原さんが自らギャラリーを運営し、かつコマーシャルギャラリーでも発表もするのかというと現状のアートシーンではキュレーターやギャラリストに「発見」されない限り発表の機会は与えられないからだ

公募展などのコンペに勝ち抜く、もしくは何件もないコマーシャルギャラリーの所属作家になる?
そうしない限り、いくら良い作品を作っていても世間から注目されることは無い
その確率は、雲の上から糸がおりて来るのを待つようなもの…
しかし、その「選び/選ばれる」という構図では いつまでたっても作り手は受動的な立場になってしまう
権威ある立場?の審査員の「趣味」いかんによってアートシーンは作られてしまうのです。
「良い趣味」ならまだ許せるが趣味が合わないだけで一生を棒に振ることになりかねない
「良い趣味」の「良い」は単なる「好み」で赤が絶対好きな人には青は一番にはなり得ない

そうすると、どうしてもアートの世界に生きて行きたいと願う若いアーティスト予備軍はその審査員の「傾向と対策」を練ってしまうだろう
そうなるともうアートでは無い、その瞬間アートではなくなる
アーティストとは主体的に行動し、制作し、発表し発言する人間のことだ
そうでなければアーティストとは呼べないはずだ。
アートの主体はアーティストに取り戻したい と願うからだ

前置きが長くなったが栗原一成さんはだいたいそんな活動をしているアーティストだ
びっしり隙間無く描き込まれた空間が蠢く
ドロドロしているのに明るい色彩が軽やかだ
オルタナティブ
「別の」とか「他の道」といった意味の言葉だが絵画やアートはオルタナティブな存在だ
自らの行く道を自らの手で開いていくのだ

大好きな作家です
今まで見た栗原作品の中で最も良かった
いつか一緒に展示をしたい作家の一人です

マルコ・ティレッリ展 at ベイスギャラリー

2011年12月14日 | Weblog
さてようやくというか
あっという間な感じで東京に着きました。
最初の目的地は日本橋は茅場町にあるベイスギャラリー
昨年よりお世話になっているギャラリーです。
来年の春にこちらのギャラリーで個展を開催します(4/6-5/31)



イタリアのアーティストのマルコ・ティッレッリ展が開催されていた
シンプルでかつランダムな幾何学的な矩形の組み合わせが美しい絵画
静かな画面の中に崇高さを漂わす稀な作家

この人もあり得る可能性の中での別のモダニストなんだろうな

ストレートなモダニズム絵画はやっぱり美しい
現代絵画においてモダニズム絵画は「古い」と思われるかもしれないが
50年代から60年代にかけてやりのこしたことはきっと沢山ある
あの当時は限界だったことも 現代の視点からモダニズムの問題点を分析すれば新しい道がまだ開かれるかもしれない
真っ正面から絵画に向かう姿勢を評価します


中部日本一周の旅

2011年12月12日 | Weblog

先週はお世話になっているベイスギャラリーへの納品と茅ヶ崎市美術館でのワークショップのために関東へ行っていました。
ボローニャ、マドリッド、ケルンへ向かう作品の納品のため今回は車で出発
ETC夜間割りを活用するため早朝に金沢を出発

ジョンレノンの命日だったらしくラジオはジョンの名曲が続いていい感じのドライブになった
夜が明けてくるころには上越から妙高エリアを走っていた
気が付けばまわりは雪

雪を見ると気持ちが落ち着く
これからいよいよ冬

長野ではミゾレ 松代(まつしろ)SAで名物の長芋を使った定食を朝食にいただく
ここのサービスエリアのご飯は本当に旨い オススメです

全く渋滞を知らない北陸から上越、長野と関越を走破し群馬まであっという間
休み休みのんびり走って行ったが11時過ぎにだいたい練馬
そこからはどこから出てきたのか信じられない程の大渋滞(都内では毎日の光景ですが)
改めて東京の車の多さにギョッとしてしまう。
目指す日本橋は茅場町へは13時の到着とあいなりました