「農民芸術概論綱要」は「おれたちはみな農民である ずいぶん忙しく仕事もつらい。もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい」という序論からはじまります。
大正15年に賢治は教職を辞して、晴れた日は鍬を持ち、雨の日や夜はペンを持つ生活に入りました。しかし、この年代の岩手県は、冷害や干ばつに加えて豪雨も襲い凶作の年が続きました。冒頭の「ずいぶん忙しく仕事もつらい」はそうした中での農民の暮らし向きを云っているのでありましょう。
「農民芸術とは宇宙感情」は全くその通りだと思います。農民の芸術品は作物です。その作物は宇宙のめぐりと太陽が主役です。この恩恵に享受しないで命を1秒でも保てる生き物はいない。まさに田んぼや畑は、天の神の美を創る工房であり、農民は神の申し子なのである。それは作物だけではなく、地球上のすべての生き物が、神がつくり給う美術品なのです。難しいことを考えることはありません。「美学は絶えず移動する」は田んぼや畑を観ていれば解かることです。農民芸術の本質は、そう云っているように感じました。