昨日は金沢で開かれた連合総研のフォーラムに参加してきました。
テーマは「暮らしと雇用の質を高める持続的成長へ」です。
閉会予定の17:00を過ぎてからフロア発言を求められても「KY」と言われそうで手は上げれません。
私は二つの意見を述べたかったのですが、とりあえずその一つだけ簡単に書いてみます。
日本の労働運動は経済成長と二人三脚で成果を勝ち取ってきたといえます。
「持続的成長」命題は経済学者も自明のこととして疑おうとしません。
しかし私は「持続可能な社会」こそが目標であり、必ずしも持続的「成長」を期待することに疑問を持ちます。
地球規模での環境問題や人口爆発をみれば永遠の右肩上がりはあり得ないのです。
労働力人口が減少する分を、生産性向上や女性の能力発揮などで吸収してもトータルでマイナス成長になることがあってもいいではないか、それを想定して将来の日本社会のあり方を考えるべきではないでしょうか。
資源の乏しい日本が、米国のようなメタボリック・モデルを目指す必要はないのです。
省エネ技術などで日本の特長を生かし、21世紀の先進モデル「成長なしに継続できる社会」を目指すべきではないか、というのが私の意見です。
二つ目の意見は「分配」についてですが、またの機会に書きます。
テーマは「暮らしと雇用の質を高める持続的成長へ」です。
閉会予定の17:00を過ぎてからフロア発言を求められても「KY」と言われそうで手は上げれません。
私は二つの意見を述べたかったのですが、とりあえずその一つだけ簡単に書いてみます。
日本の労働運動は経済成長と二人三脚で成果を勝ち取ってきたといえます。
「持続的成長」命題は経済学者も自明のこととして疑おうとしません。
しかし私は「持続可能な社会」こそが目標であり、必ずしも持続的「成長」を期待することに疑問を持ちます。
地球規模での環境問題や人口爆発をみれば永遠の右肩上がりはあり得ないのです。
労働力人口が減少する分を、生産性向上や女性の能力発揮などで吸収してもトータルでマイナス成長になることがあってもいいではないか、それを想定して将来の日本社会のあり方を考えるべきではないでしょうか。
資源の乏しい日本が、米国のようなメタボリック・モデルを目指す必要はないのです。
省エネ技術などで日本の特長を生かし、21世紀の先進モデル「成長なしに継続できる社会」を目指すべきではないか、というのが私の意見です。
二つ目の意見は「分配」についてですが、またの機会に書きます。