書感とランダム・トーク

人間の本質を根本原理から追求研究する内容さらに遡っては生物・植物その他をサイエンス的原理から考察する。どうぞ御寄稿を!

「武蔵の国」の地名の語源をホツマツタヱ(39-84)から ランダム・トーク:藤田

2008年08月11日 | Weblog
・・・・・・・・・・・・・・ さかむのたちに
いりませば のにかたあぶみ
とらがしわ ひろいかんがえ
あぶみさし いまたてまつる
たまかざり ほめてたまわる
むらのなも たまがわあぶみ
みさしくに さがむのくにと
もとひこに なつけたまわる
くにつかみ ・・・・・・・・・・・・

紀元2世紀、えみしの勢力を鎮圧し、諭すため、景行天皇の命をヤマトタケが受けました。そのため、ヤマトタケは80人の兵を引き連れて、駿河、相模、上総、勿来までと(仙台へは部下の大友武日が勅使として交渉に行き説得)行き、説き伏せることが出来た帰り道のことです。

ヤマトへ帰る途中、相模の館(厚木神社と考えられる)に帰ってきたとき、虎柏なる武将が現れ、戦場で失った鐙(あぶみ)を榊にさして、たま飾りとして、ヤマトタケに献上した。このとき、鐙をさして献上したことにより「あぶみさし」→「あぶみ みさしくに」という国の名前が付けられた。「み」は謙譲語。

このホツマツタエ記述のこの部分を知らなければ、ヤマトタケの東征で唯一激しい戦いであった場所なので、「みさし」が「むさし」になまり、「武蔵」という漢字に置き換えられたのは的を得ているようにも思えます。
深大寺の近くにある、虎柏神社はこの「トラカシワ」という武将の名残と考えられます。
この虎柏神社付近の町名になっている佐須町や佐須街道はこの「みさし」の「さす」という語源から来ているものと考えられます。
また、この「あぶみを拾った」という記述部分から、当時既に馬に乗っていたことも分かります。
以上、 高畠氏の解釈を基に紹介させていただきました。藤田昇