三河菅沼家の明暗を分けた長篠・設楽が原の戦いについて。あまりに有名なので、ここであえて述べなくても良いかと思っていたのですが、掲載しておきます。武田軍対織田・徳川連合軍の最終決戦。結果は周知のとおり織田・徳川連合軍の大勝利となります。菅沼家にとっては一族を分けた戦いでありました。徳川方の菅沼定盈・定利・藤蔵(定政)はその後大名となっています。一方武田軍に味方した田峯菅沼・長篠菅沼家は滅亡または没落してしまいました。歴史は当主についての記述はありますが、その家族郎党がどうなったかあまり資料はないように思われます。きっとどこかに隠棲し、時代が経って由緒を失ってしまった家もあるかもしれませんね。
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罪人として処刑されたということなので由緒などは残っていなそうですが、目黒区の教育委員会あたりでは解かるでしょうか?
調べてみます。