ホントにすぐに60日ぐらいたってしまいますね。
放置状態ですね。
ちょっと話題が出ているので、調べてみました。
菅沼次郎右衛門は長篠菅沼家俊弘より始まっているようです。
俊弘の後 元景が次郎右衛門を名乗っています。
その後、忠久、忠直、勝利、勝次、勝重、と続いて、
伊予守助次郎正勝の子定勣、定直へと続いたようです。
またまた更新をさぼり、60日間経ってしまいました。
いつの間にか、2013年も15日過ぎてしまいました。
本当に時の経つのは早いですね。
来年の大河ドラマは「八重の桜」ですが
八重の夫、新島七五三太(新島襄)は、若いころ安中藩で
菅沼総蔵、岡村喜四郎とともに3人が選ばれオランダ語を学んだとあります。
ここに出てくる安中藩菅沼氏ですが調べてみると、
安中藩席順表に大小姓 菅沼総蔵とありました。
コメントをいただいていたのに気付かずに申し訳ありませんでした。
私も何年か前に松代を訪れたことがあります。
また、松代藩士菅沼家の子孫の方が今もいらっしゃることも
ちょっと記憶が曖昧ですが知っていました。
長国寺の観光案内をされている方に菅沼さんがいたということを
ブログで読んだ記憶もあります。
ご訪問大変ありがとうございます。
このブログを立ち上げてから、全国の菅沼さんからコメントをいただいております。
なにか情報があったらぜひお願い申し上げます
映画が話題になっていますね。
忍城士の菅沼氏 成田分限帳に「九貫文・菅沼勘太夫」あり。
行田史譚に「天正十八年忍城攻めの時、軍使菅沼勘太夫は二ノ丸に籠城す」と記録があるそうです。
籠城兵の中に菅沼氏がいたようですね。
それにしても九貫文とはずいぶん低禄ですね。
最近高崎市と合併した群馬県の吉井町ですが、
ここは山家三方衆の奥平氏の出身地です。
山の上には奥平城址もあります。
また、家康関東移封時には菅沼定利が2万石で配されたところでもあります。
玄太寺が菅沼定利の住居跡だということは以前にこのブログでも述べたことがあります。
この寺は定利没後50年に建立されたそうです。
定利は最初、菩提寺と定めていた仁叟寺(じんそうじ)に葬られました。
仁叟寺は開祖は奥平氏で、現在でも開山堂には奥平氏、菅沼氏の位牌が祀られています。
定利の墓は150年忌の時に、三河新城の五代領主の菅沼定用の命よって、
玄太寺へ移されたとのことです。
60日間ブログのの更新がないと表紙のテンプレートが変わってしまうということで
久しぶりにページを見てびっくりしてしまいました。
新ネタがないので放置状態でした。
何もしていないのですが、毎日30から50人程度の方が見てくれているようです。