菅沼家ルーツ

宮城谷昌光氏の小説「風は山河より」で菅沼家3代が主人公になっていました。
菅沼家のルーツを探って見たいと思います。

謎が拡がる・・・・

2011-07-24 23:02:24 | 菅沼家ルーツ
家の曽曽祖父または曽曽曽祖父が何らかの形で

前橋藩越前松平家に関係していたのではないかと思われるのですが

前橋藩士だったということは伝わっていません。

前橋藩の士族名簿にも菅沼姓はみつけられませんでした。

もし松平家の家臣だったとすると、何となく名の芳男のあとにある「直義」というのが気にかかります。

越前松平家は直を通字として使っていることもあります。

お殿様と同じ字を家臣が使うことがあるのかどうか

あるとすれば云われがあるのではないだろうか。

逆に松平家家臣でなかったとすれば、どうして前橋藩士の娘を嫁にしたのか

謎は拡がるばかりです。

埼玉県苗字辞典 山口氏 以前からの謎解明か?

2011-07-23 17:58:43 | 菅沼家ルーツ
埼玉県苗字辞典山口氏に

二五 川越藩松平大和守家臣 天保十二年川越藩分限帳に「御寄合・五百石・越前取立・山口槙之丞、御馬廻・百石・姫路取立・山口修、御目付・百俵・川越取立・山口織江」。

万延二年川越藩分限帳に「御番頭・五百石・山口図書、嫡子山口新兵衛、御馬廻・百石・山口修、御老体・百石・山口織江、御目付・十人扶持・山口武曹、永詰御雇・五人扶持・山口力造」。

慶応元年地方役人帳に「御奉行・山口武曹」あり

とありました。

ここに山口修という名前が見えます。

多分この人が家の曽曽祖父の妻側の親の「山口脩」の可能性が高いかもしれません。

修と脩の違いはありますがたぶんそうであろうと思います。

我が家の戸籍には曽曽祖父の妻「東群馬郡前橋町山口脩長女もと文久2年三月十日入籍」とありました。

もとは天保十四年八月一日生まれ十九歳で婚姻ということでしょうか。

曽曽祖父の菅沼芳男直義は婚姻時十六歳だったことが解っています。

これが我が家の先祖はどこから来たのか

解明のきっかけになるかもしれません。