菅沼家ルーツ

宮城谷昌光氏の小説「風は山河より」で菅沼家3代が主人公になっていました。
菅沼家のルーツを探って見たいと思います。

菅沼与太夫(よだゆう)

2011-04-09 15:16:12 | 菅沼家ルーツ
ジョンカモンさんの質問を転載いたしました。

400年以上も昔のことです。長篠合戦の頃に先祖で「与大夫(与太夫)よだゆう」という人がいました。彼はその後、長篠(現新城市)地方から現在の豊橋市に移住したそうです。 長篠地方にいたかどうかを知りたい。

その時の年齢は不明です。戦国武士またはその子供(幼名?)だと思われます。系図らしきものによれば、新城野田菅沼の定村(法名より判明)の子孫とありました。この「よだゆう」という呼び名から、どんな人物像とか所以とか考えられることは何かあるでしょうか?

長篠合戦で敗退した田峯城・城主の菅沼定忠がその1年後に城内96人殺し事件がありました。その時、自分の妻、幼子を逃がしているとのことで、その逃亡ルート(最終的には静岡県湖西市新所へ)の中途位置と時期が「よだゆう」に関係あるのかもと、全くの思いつきですが、ふと気にしておるこの頃です。

先の質問の補足(追加)です。

①田峯の定忠にはその子供がいた記録はあるのだろうか?

②長篠合戦の後、先祖が住み始めた土地は、実は野田(野田は家康側)の領地であったのですが、武田側(田峰)の血筋の者が居住できたのだろうか?

③もし、先祖の言い伝え通りで野田城主の家系であるとするなら、定村の次男の虎之助(幽閉されたとあるが)またはその子、新蔵が母親とともに逃げてきたのだろうか?

定忠の子供(たぶん幼子)および定村の子孫の虎之助と新蔵についての情報などをお持ちの方、ご教授いただきたいです。