菅沼家ルーツ

宮城谷昌光氏の小説「風は山河より」で菅沼家3代が主人公になっていました。
菅沼家のルーツを探って見たいと思います。

長篠菅沼家のその後

2009-05-25 23:09:56 | 菅沼家ルーツ

 長篠菅沼家の当主菅沼正貞は長篠・設楽が原の戦いの時、長篠城を退去し武田側に走ったことを、武田側に徳川への内通と疑われ、信州小諸城の牢獄へ入れられ、そこで獄死したと言われてています。またその妻と子供は小諸城内で軟禁されていて、武田氏滅亡後、その子供菅沼半兵衛正勝は家康に拝謁して許され、田口(設楽町田口)に五百石の采地を与えられたという事です。後に徳川頼宣に従って紀州に移り、子孫は紀伊藩城代として明治を迎えている。と記されています。

また江戸中期に、老中となった田沼意次の父意行は菅沼半兵衛の子供との記述もあるが、この半兵衛の系統だろうか?。


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2 コメント

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Unknown (道産子)
2010-01-12 04:51:52
徳川吉宗が紀州徳川家から江戸に側用人として菅沼定虎と言う者を連れて来てます
これは長篠菅沼家の流れを持つ者です
旗本になっていますが明治まで続いたかは不明
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Unknown (道産子)
2020-04-12 08:02:47
ごめんなさい定虎は野田菅沼氏の系譜でした
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